楡の会こどもクリニック通信第32号(2019年7月)
2019.07.24

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触って嫌がると「感覚過敏」と言うのは非科学的

~感覚・知覚・認知の脳神経生理学からの説明~

石川 丹

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 はじめに

 

子どもが何かに触ったり、何かを聞いたりした時、いやがったら「感覚過敏だ」と言う人がいますが、それは脳神経生理学に照らして片手落ちの誤りです。

また、療育と称して嫌がる物や事に無理矢理子どもをさらすのはいじめに相当します。ですから本当の治療教育ではありません。

以下にこの2点を説明します。

 

感覚・知覚・認知

 

人間への様々な刺激、つまり光、音、接触、味、匂いは目、耳、皮膚、舌、鼻の感覚器官から感覚神経を通って大脳に入ります。

感覚神経には視覚・聴覚・体性感覚・味覚・嗅覚の5種があります。

体性感覚には触覚・圧覚・温度覚・痛覚・振動覚・固有覚(筋肉関節腱による身体手足の位置・運動・力の感覚)の6種があります。

大脳に入った刺激は情報処理機構である大脳の生理的活動の糧と成り、情報と称されるように成ります。

大脳による情報処理には感覚、知覚、認知の三段階があります。

感覚とは刺激の脳への入力段階、例えば触ったら何だか分からないけど触ったのが分かる段階です。次いで、知覚は何に触ったか判断する段階です。その後、触った事物の良し悪しなど価値判断をするのが認知です。

大脳は情報の意味判断価値判断をして不要な情報は破棄はき、つまり無視します。が、一方では有用な情報は加工し、つまり思案推敲すいこうし適切な指令を作ります。指令は運動神経を伝わって運動器官に達します。運動器官は指令に基づき活動し適切適度な身体活動を作ります。

感覚神経を伝わる刺激の伝導速度、運動神経を伝わる指令の伝導速度は共におおむね大人では時速180km、幼児では時速150kmです。

運動神経を伝わった大脳の指令に基づき身体が動き始めたら、直ぐにその動く様子が感覚神経を通って脳に伝わります。大脳がその動く様子を上手うまくない不都合と判断したら、大脳は即座に修正指令を発します。

人が活動している間は刺激と指令がそれぞれ感覚神経と運動神経を、言わば上り下りの高速道路を猛烈なスピードで行き交っている状態なのです。

こどもはスピードが遅いので運動動作がぎこちなく不器用に見えたり、とちる事が多く成り得ます。

感覚・知覚・認知の有機的総体が人間の精神身体活動つまり生命活動をコントロールしています。

従って、人間が生きていると言う事は、感覚器→感覚神経→大脳(感覚・知覚・認知)→運動神経→運動器→感覚器→感覚神経→大脳(感覚・知覚・認知)→運動神経→運動器~~~の脳神経回路機能の活動が続く絶え間なく続くと言う事です。

ちなみに、最近問題に成っている高齢者の交通事故の原因として一番多いアクセルとブレーキの踏み間違いは、感覚器→感覚神経→大脳(感覚・知覚・認知)→運動神経→運動器→感覚器→感覚神経→大脳~~~の回路の機能の老化による機能不全が原因で、その結果のとちりです。

成績の良いアスリート、運動の上手な人を「運動神経が良い」と言う人がいますが、上記理論からは、運動が上手な人や器用な人は感覚神経も優れているはず、と説明できます。

 

感覚過敏とは

 

さて、子どもが砂とかに触るのを嫌がると「感覚過敏」と言う人がいますが、そう言う人は子どもが気持良く触っている場合は感覚過敏と言いません。

触って人一倍気持ち良いのであれば感性豊かで敏感、つまり過剰な感じ易さと言う事に成りますから過敏と言っても良いはずなのに、嫌がる場合にのみ過敏と言う人は、上記の大脳の感覚・知覚・認知の機能を全く理解していない人と言えましょう。

触って嫌がるなら接触嫌悪と言う、触って気持ち良いのなら接触歓喜と言う、のが脳神経生理学に則って正しいのです。

嫌がると「感覚過敏だ」と言う人は「慣れさせるのが療育だ」と称して嫌がる刺激に無理矢理さらします。しかし、これでは「慣れろ」は「鈍感に成れ」に等しい事に成ります。「鈍感に成れ」は「ちょっとした違いには気付くな」ですから豊かな感性の否定に成り、子どもの個性を“育む”とは逆で良からぬ事です。

嫌がる事を無理矢理させるのはいじめであり、人権侵害であります。人それぞれの感性の否定は個の尊重の逆ですから、民主主義ではありません、治療でも教育でもありません。

「嫌な物や事は我慢しなさい」が日本の普通の躾教育ですが、誰だって嫌を我慢するのは辛くて大変なエネルギーを要します。

楡式“好い事作り療法”の基本方針は「嫌を我慢しなさい」ではなく、「“好い”でもって“嫌”をおおってしまう」「好い事があるから嫌な事をやり過ごせるように成る」です。

 

ある3歳児のエピソード

 

ある3歳半児が就園し、砂場遊びの時に砂を触るのをいやがった所、訓練の先生が「感覚過敏だから」と言って砂を手や腕になすり付けてしまいました。児は翌朝から「砂、嫌あ」と言って泣き、登園拒否に成りました。

筆者は母に「スコップOK、砂を触らなくてもOKにしたら登園するはずです。園と交渉して見て下さい」と勧めました。

園は母の要望を受け入れ、砂に触らない砂遊びOKに成り、児は再登園に到りました。

嫌な事をしなくて良いとするのは甘やかしだと言う人がいますが、砂に触るのが苦手と言う一事を以って幼稚園全体が嫌に成ってしまい、登園できなくなった状況を好ましいと言う人はいないでしょう。子どもを幼稚園の色々な環境の中で育むのは大切ですから、嫌な一事を無くして登園できるように成ったのは好ましい事です。

砂に触らなくても良い砂遊びは児にとっては好ましい遊び方です。“好い”で“嫌”をやり過ごせた訳ですから楡式“好い事作り療法”が成功したと言えましょう。

 

定位反応

 

生体は新奇刺激を受けるとそちらの方に注意を向けます。ソコロフはこれを定位反応と称しました。

定位反応は生命活動の基本中の基本です。生体の刺激への第一の反応は言わば「これは何?」「ありゃあ何だ?」です。疑問を持つ事ですからこれは、大袈裟おおげさですが、科学思考の始まり中の始まりです。その後「これは~だ」「ありゃあ~だ」と判断納得をします。

クリオネだって定位反応しています。普段は天使のように愛らしいと言われている姿ですが、海中を浮遊している貝の一種で食物としているミジンウキマイマイを食べる時は物凄ものすごい形相に成って大口を開けてガブリと食べます。しかし、ミジンウキマイマイでない浮遊物を口にすると、一瞬の後にあたかも「えっ?何これ? 間違えた!」と思ったようにあわてた様子で直ぐにき出します。

 

敏感は良い事

 

いやにしろ、良いにしろ、人一倍感じ易いのは大切にすべきです。何故なら、多くの人が気付かないちょっとした違いへの気付きが優れていると言う事を意味するからです。これは「これは何?」「ありゃあ何だ?」の定位反応が優れている事を意味します。

犬は人より臭いに敏感つまり過敏だから、警察は犬をして犯人の足跡を追求する警察犬として、厚生労働省は麻薬犬として育て上げます。犬より臭いに鈍感な人は臭いに敏感つまり過敏な犬、即ち、ちょっとした臭いの違いに気付き易い犬に助けてもらっています。過敏は良い場合も大いにあります。

ノーベル賞学者はちょっとした違いに気付く感性豊かさを持っている人です。ですが、多くの受賞者御本人は記者会見で「偶然ぐうぜんなんです」とよく言います。

例えば、発光するお椀クラゲを材料としてLED研究をした下村修先生は「偶然だったんです。実験が上手く行かなくて『また失敗だ』と思って流しにザアッと流したら、いつもとちょっと違う事に気付いたんです。それが緑色蛍光タンパク質の発見につながったんです。だから偶然だったんです」とおっしゃっていました。

ノーベル賞学者は心理学者ではありませんから「偶然」と仰るんですが、ちょっとした違いに気付くのは豊かな精神活動です。研究領域に関して敏感過敏であり、ちょっとした違いに気付く、それらが大発見大発明につながるのです。

 

楡式療育 “好い事作り療法”

 

日本の伝統的躾教育の考え方は「塾に行かせる」など“~させる”が主流です。「勉強しなさい」は“勉めを強いる命令する”ですから「勉、強、しなさい」の三つの句の内の二つも強制が含意しています。だから“~させる”の象徴と言えましょう。

強制は体罰いては虐待にエスカレートする事がありますから、親はし過ぎに成っていないか子の態度に充分に注意しないといけません。

一方、日本には古くからの子育て用語として“なだめたりすかしたりおだてたり”があります。“煽てる”には“乗せる”と言う意味が含まれます。不穏当ふおんとうな言い方ですが、オレオレ詐欺の犯人張りに親は親の思惑おもわくに子どもを乗せるのが上手な煽て方、上手な育て方に相当します。

楡の会が提唱している“好い事作り療法”は子どもに“~に乗ってもらう”です。

先ずは子どもにとって好ましい事、やり易いと思われる事を提唱して「~して」と言います。「~したら上手く行くよね」とか「~してくれてたらママは嬉しいなあ」とか煽て加減に提案できたらもっと良いです。

そうすると、子どもにとってやり易い事は真似し易い手本が出された形に成りますから、子どもの心中に「それ、やれそう、やって見たい」の気持が生じる確率が上がります。つまり、“やる気”を育てられますので手本に乗ってもらえます。手本に乗って真似できたら“学ぶ”が進みます。

強制する事無く“やる気”を育てるのが楡式療育の真髄です。

 

同一性保持要求が強い

 

今から70年程前に児童精神科医のカナーが自閉症と称する子どもの精神疾患概念を提唱し、自閉症の子どもの一番の特徴は変化を嫌がり同じである事の欲求が強い点であると考えて“同一性保持要求が強い”としるしました。
変化を嫌がる、とは、ちょっとした違いに気付き易い、が前提です。つまり、違いに敏感で違うと直ぐ分かっちゃうので、変化を防止しようとする行動、即ち、こだわり行動も目立つ事に成る訳です。
自閉症の子はちょっとした違いに気付き易い才能があると言えましょう。
カナー以後のいつの頃からか多くの人は“同一性保持要求が強い”を「拘りが強い」「切り替えに時間が掛かる」と言うように成りました。自閉症の親御さん達の「言う事を中々聞かないので困る」という思いの表現です。
嫌な事に拘る人はいません。どんな人でも拘るとすればそれが好いからです。
自閉症の子の「拘りを無くせ」と言う人がいますが、好い事に拘っているのですから、無くせと言われて「はい、分かりました」と直ぐに従う方がおかしな事です。
拘りはブームです、ファッションです。ブームやファッションは、充分堪能たんのうしたと言う思いが生じれば、去ります。
自閉症の子の困った拘りを好ましい方向に変えられた成功エピソードの数々は「子育て親育ち読本I・II・III」を御参照下さい。

 

拘りが強い

 

拘りが強い、は自閉症ではない普通の子でも見られます。
我が強い子、我を張る子、頑固がんこな子、自己中心性の強い子は自分流でやりたがる意欲が強く、自分のやりたい事を押し通そうと努めます。ですから、親も含めて関わる大人が注意しても、怒っても、指導しても言う事を聞かず、ために大人の心には「拘って困る」「切り替えに時間が掛かって困る」との思いが高じます。
自分のやり方でやりたい思いが強い人は自らの行動方針のシナリオがはっきりしていますから、やっている時にちょっとでもシナリオ通りでないと直ぐに違うと気付きます。つまり、違いに敏感と言う事です。違いに気付くと元のシナリオに戻そうとする行動が目立ちますので、更に拘りが強く見えてしまうという訳です。
落ち着き無い子は“思い立ったが吉日”の子ですから、やりたいと思ったら“石橋を叩く”をせずに直ぐやらなきゃ気が済まない子です。ですから「我を張ってる」に相当します。また、“思い立ったが吉日”の子は何かをしていて別の事に気を取られてそっちが良いと思ったら、直ぐそっちに移る気紛きまぐれもあるので益々集中力が無く見えます。一方、はまればどこまでもやるタイプですから頑固に見えたり、「切り替えに時間が掛かって困る」と言う思いを大人にさせる事が増えます。
自由奔放ほんぽう傍若無人ぼうじゃくぶじんのため親御さんに困られていたけれど、“好い事作り療法”によって良く成った子ども達については「子育て親育ち読本III」をご参照下さい。

 

分別未熟

 

自閉症の子の“同一性保持要求が強い”と普通の子の「拘りが強い」は違うものでしょうか?
自閉症と言う疾患名の自閉とは、自らに閉じもる、を意味します。これは、他者からの干渉を拒否し自分流を貫こうとする事、つまり“我が道を行く”に相当します。
普通の子が親の言う事を聴かずに自分のしたい事を続け、「拘って困る」と親を困らせてしまうのも“我が道を行く”に相当します。
ですから、自閉症の子の“同一性保持要求が強い”と普通の子の「拘りが強い」の根っ子は同じと言えましょう。
“我が道を行く”の根っ子は分別未熟です。
分別とは“時と場合によって態度を変える”“出るべき時は出て引くべき時は引く”の社会的適応能力、平たく言えば、処世術です。分別とは心理的精神的には自己説得能力です。

 

“我が道を行く”+分別

 

誰にでもめられる偉業いぎょうを成しげた人はみんな分別を以って“我が道を行く”タイプの人です。
去年の全米オープンテニス大会の優勝インタビューで大坂なおみははにかみながら「やりたくない事やる暇はねえーっ」と言いました。これは「分別を以って練習に没頭したので優勝できた」と言う意味で語っていたのです。
‘15年ノーベル物理学賞の梶田隆章先生は「好きな事、やりたい研究をしていてノーベル賞、有り難い事です」と仰いました。