「僕の気持ち伝えている!分かってほしい!」のAくんの発達
楡の会発達研究センター報告、その47(2020年11月)
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「僕の気持ち伝えている!分かってほしい!」のAくんの発達
児童発達支援センターきらめきの里
飯澤佳奈 小林ほのか 佐々木美里 西田萌華 中川祐美子
天野由香 高野里美 町田雪野 田野準子
こどもクリニック
鈴木雅彦 生田目紀子 永岡麻衣子 石川 丹
I.きらめきの里入園前のこどもクリニック通院中の発達の姿と考察
2歳3ヵ月時、保健センターから紹介され来院した。
主訴の第一は言葉の遅れ、二語文は未だなく「あーちゃん(母)、ブーブ、みみ、きょう
りゅう、いるか、パンマン(アンパンマン)、おいちい、おっきい、あおい、ないないね、バイバイ、あいにゃあ(今日は)」など。
第二は癇癪がひどく思い通りにならなかったり制止されると頭打ちしたり暴れて大変と言う事であった。
ごっこ遊びでは、白い紙をテーブルに見立てておもちゃの食べ物を置き、人形を並べて
食べさせるご飯ごっこをするとの事であった。
以上から本児の言葉の発達については、量は少ないが形容詞挨拶語とA君語と称される
独創的言葉「あいにゃあ(今日は)」を発しているので質は高く、ごっこ遊びの発達つまり動作性知能の発達は暦年月齢相当であるので、言葉はいずれ伸びるだろうと考えられた。
尚、A君語については楡の会ホームページの発達研究センター報告18「音韻の発達 ~宇宙語・『その子語』から日本語へ~」と同42「R君の“その子語”~R君語から日本語への発達過程~」を、言葉の伸びの予想についてはHPのこどもクリニック通信 23 号「遊びが言葉を育てるわけ」と発達研究センター報告41「3歳前は言葉が遅れていたけど“図星を言う”など楡式言語療法で良く成った子49人」を参照されたい。
両親の心配を改善するための方法を以下のように説明した。
言葉を伸ばす方法としては“図星を言う”と“実況中継”を勧めた。親が子どもの気持ちをズバリ言い当てる、と、子どもの行動を親が実況中継してアナウンスする、の二つによって子どもに真似し易い言葉の見本を提示する方法である。
癇癪への対処法としては“図星を言ってから叱る”。“二つ先のアナウンス”、“カウントダウン”を勧めた。
上記の対処法の詳細は楡の会が発行している本“子育て親育ち読本I・II・III”と発達研究センター報告40「自由奔放傍若無人だったけれど我慢できる良い子に成れた子36人」を参照されたい。
2歳4ヵ月
「ちょうだい」「どうぞ」を言い、名前を呼ぶと「はーい」と返事をする、「お風呂だよ」と言われるとズボンを脱ぐ、ごみポイしてくれる、スプーンを使ってプリンを食べる。
2歳5ヵ月
要求を通したい時「あんにゃあ」とA君語を言い、積み木を並べ重ねて「お家」と言った。
アンパンマンを「アンマン」と言い、その後キャラクター全般を「アンマン」と言う。
因みに、これを言語発達心理学では過剰般化と言う。例えば、犬を見て「ワンワン」猫を見て「ワンワン」象を見て「ワンワン」と言う発達段階を通る子は珍しくはない。四つ足動物の四つ足と言う特徴に注目してしまった結果であるが、やがては髭に注目して「ニャンニャン」、耳の形に気付いて「パオーン」と言うように成るのが普通の言語発達である。
中原中也は「また来ん春・・・・」という題の詩で「思えば今年の五月には お前を抱いて動物園 象を見せても『にやあ』(猫)と言い 鳥を見せても『にやあ』だつた 最後に見せた鹿だけは 角によっぽど惹かれてか 何とも言はず眺めてた」と象も鳥も猫と同じ動物と認識した過剰般化と鹿の角に注目して違う所に気付いた我が子の様子を微笑ましく謳った。
2歳7ヵ月
「来て、取って、あっち、ニャンニャンいない、ママ来た、鍵取って」、玩具を隠して「なーい」出して「いたー」と日本語発語が増えた。A君語も増えてA君語で多語文を言っている様子だが通じない時には癇癪を起こすが、他の場面での癇癪は減った。待てるのも増えた。
2歳10ヵ月
「行ってらっしゃい、パパ会社行っちゃった、綺麗だね、鯨みたい、何だこれ、落ちちゃったしょう」、お店屋さんごっこで「いらっしゃいませ」「お客さん」と言う。
3歳前に「何?」の疑問詞を発したので言葉の今後の発達は心配ないだろうと言えた。
ごっこ遊びも成り切り遊びの段階に発達した。
3歳
癇癪はないが気分が乗らないとしない、一番にやりたがる、一人で更衣しない。
3歳2ヵ月
「パパと入る」と意志を、「これじゃない」と否定を、「誰いたの?」と疑問詞を、「保育園楽しかった、先生がいた」と過去を、助詞も入った文として話せるようになった。また、「ママ上手くできない」と言って援助を求める事もあって、コミュニケーション手段としての言葉の使い方が進んた。
II.3歳2ヵ月きらめきの里入園後3歳11ヵ月までの発達の姿と考察
入園時の母の願い
食事更衣排泄の自立、集団の中で活動の流れに乗って輪の中に入れるように成って欲しい」、思いが叶わないと泣き続ける、言う事を聞かない事がある。
療育方針
楡式“好い事作り療法”に基づいて“図星を言う、図星を言って叱る(教え諭す)、良い子意識作り(こどもクリニック通信33号「我慢分別の心を育むための良い子意識の育ち」参照)、良い子のA君に成ったね、良い子のA君どこ行った?(こどもクリニック通信26号参照)、OKの声掛け、二つ先のアナウンス、二つ手前からのアナウンス”などを実践する事とした。
注記
以下の発達経過の記述は職員らによる個別記録からの抜粋ですので、A君 、A、、児、本児、ですます調、である調、現在形、過去形が混在しています。
3歳2ヵ月
親子集団遊びでは様子をじっくり見ていて参加に慎重であった。
職員が持っていたボールが欲しくなって母に泣いて思いをぶつけていた。
職員への関りには拒否的で母を求める場面が多かった。
親子遊びでは当初外から見ていたが母の元に走って行き抱っこで参加した。
公園に行く際の身支度は母の声掛けに応じてスムーズにできた。川を見て「お魚いないねえ」と呟いた。母の話では生き物に興味があるとの事であった。
3歳3ヵ月
「動物園に行った、象さんいた」と話した。
トランポリンで飛んでいる内に他児が数名乗って来ると降りてしまい、父に促されても「やだ」と言って乗らなかった。
シーツブランコでは時々母に制止されながらも順番を待てた。
エアポリンは始め「こわい」「いやだ」と言ったが、職員に誘われて跳んで楽しんだ。
慣れない場所や環境に対して不安な表情が多く見られる。
職員の声掛けは聞いているが、自身の要求を叶えてもらう相手は母で、職員が手を出すと「ママがやって」と泣きながら激しく怒っていた。
作っていたブロックが壊れると母に直してもらうよう求め、一緒に遊んでいた職員が手を出そうとすると激しく拒否。
帰り際、疲れも重なり泣いて癇癪を起こしている児。母が一人で帰り支度をすることが大変だろうと職員が児の靴下やジャンパーを取ると怒る。朝の会のお名前呼びもドキドキが強く、手を合わせたり握手を拒否する。
週2回と登園数が少なく、1週間ぶりに担任と顔を合わすことも多く、信頼関係を築くことはまだ難しかった。家庭訪問では、「先生来たね」「嬉しい」の発言は聞かれた。
家庭・楡共にトイレに行くことを激しく嫌がっていたが、きらめきの里のトイレには嫌がらずスムーズに入るようになった。後日、熱冷ましの坐薬をトイレで母が本児に無理に挿した経験があることが分かる。
本児が思いを母に受け止めてもらえず泣き崩れた際は思いつく単語で自分の気持ちを表現しようとするが、発音不明瞭であること、泣いていることが重なり聞き取ることが非常に難しい。母も本児の気持ちを理解することが難しい状態。本児の思いを聞くよりも母自らの思いを言語化して伝え続ける様子が見られる。
本児にとっては、職員は母を横取りされる存在とも考えていたのではと推測。
3歳4ヵ月
母の言うことを聞かなくて母は疲れている、と。
保育園では問題なく年長児女児と遊ぶが、同世代男児が誘ってくると「いやだ、あっち行け」と拒否する。
公園では虫取り網を持って「虫取りたい」と言って走り廻り、取った虫は袋に入れて持ち帰った。
制作では象のイラストの鼻の先に青いクレヨンで線を描き「水出してる」と解説した。
久しぶりに登園した日の降園時には疲れの所為か大きく泣き崩れた。
活動中、自身の思いと異なる事物に対して自身のイメージや思いを周りに表現し、少しずつ自己発揮する姿を見せるようになる。
フラワーペーパーを丸めて袋に入れる制作では説明へ注目し、フラワーペーパーを見ながら「折り紙したい」「ママやって」とつぶやく。母に好きな動物を作ってもらうと満足し、最初の説明の制作をすることが出来る。
昼の自由時間、母との分離時に涙を見せるが、担任が手を広げて「おいで~」と声を掛けると担任の元に来る。この時期から、担任を頼ろうとする姿が見られるようになり、本児の要求が通らず泣き崩れた時にも担任の声掛けに聞く耳を持てるようになる。
朝の会では着席時間が増え、絵本への注目も良くなる。
ゴールデンウィーク中に自宅でもトイレトレーニングが進み、便器で排尿する回数が増え、尿意を伝えられるようになる。身の回りの自立を目指していた母にとって大きな転機になり、褒めることも増えた。
母は自分の気持ちや困りごとを職員に話しながら職員のアドバイスに耳を傾け、本児の思いに寄り添った声掛け、つまり“図星を言う”が出来るようになる。
担任としてまずは本児と楽しい遊びの経験を積み、図星を言い当てる頻度を上げる為に本児の思いを確認して行き、本児の中で担任が楽しい、面白い人、自分の味方だと認識してもらえるように関わって来た。母自身が辛く成り過ぎないように母の気持ちにも寄り添い、一緒に本児の思いに耳を傾けるようにして来た。
3歳5ヵ月
家で朝の支度をスムーズにできず母がイライラしてしまうことがある。どのように対
応したら良いかと相談されたので、本児が朝の支度の工程を見て分かるように写真を使って流れを提示する事をアドバイスした。担任が写真を提示すると活動に期待を持ち、「ここ行くの?」と聞いて来て切り替えがスムーズに成った。
家族の体調不良が重なり久しぶりの登園でリズムが掴めず、本児の思いが伝わらないことで泣き崩れる事が多い。
降園前に疲れ・眠さが重なり泣きながら母にやってほしいことを訴えるが、母・職員共に本児の要求が分からず泣き続けた。根気よく一つずつ図星を言い当て本児の思いを叶え満足するのに30分ほど掛かった。
泣いている児やクラスで関わりの少ない男児を見ると近くに行って叩くことが目立つようになる。自分よりも明らかに身体の大きい児に対しては手を出す様子が見られない。一方で、クラス内で好きな女児が出来、身体に優しく触れたり表情を緩ませながら名前を呼んで気持ちを表現していた。
本児と担任の関係性をより良くする為、じっくり遊ぶ時間を設け、本児主導の遊びに十分付き合い、出来るだけ担任と1対1で遊ぶ時間とした。
3歳6ヵ月~9ヵ月
母から「活動中に他児を見て目の色が変わり叩きに行こうとするのが心配」と相談があったので、「叩きに行かないよ」と否定するのではなく“図星を言って叱る”を改めて説き、また他の方向に興味を向けるような声を掛けて行きましょうとアドバイスする。
公園の森では鳥の鳴き声が聞こえると「どこにいるの?」と探したり、「怖いよ」と母に抱っこを求めた。
太鼓は順番を待って叩くことができた。
順番を待っていて抜かされた時、叩こうとせずに「Aちゃん並んでたのに」と涙を見せながら自分の思いを相手に伝えた。これは大進歩であった。
療育中に泣いたので理由を訊くと「だって、帰りたかったんだもん」と思いを言語化できた。
道具を他児が使ってしまったことで他児ともめた時には「Aちゃんが使ってた」と涙ながらに訴えた。これは憂さ晴らしを行動化しないで、つまり仕返し乱暴しないで、言葉で憂さ晴らしできたと言う事、愚痴って心を鎮めたと言う事だから児の自己コントロールつまり分別我慢の心が成長した証しの好ましい行動と評価できた。
担任と一緒にアリを捕まえて虫カゴに入れ、葉っぱや木の実を入れて「虫の家」と言った。バッタを発見するとすぐに捕り、じーっと観察していた。
玄関で担任を見つけた際は笑顔を見せ担任に駆け寄るようになった。
朝の会では担任の膝の上に座り絵本を見る場面や自分から椅子を運び離席することなく参加し、療育内容の流れに見通しを持つことが出来るようになった。
ホール遊びの時間は担任の手を取り「遊ぼう」「行こう」と誘うようになる。
帰りの翌日の療育内容提示の写真を見て「Aちゃんもしたい」と言い、きらめきの里に来ることや活動への期待が見られるようになる。
他児が持っていた旗が身体に触れたことで叩かれたと思い、仕返ししたいと訴え、向かおうとするが制止され、母に抱っこされながら20分ほど泣く。職員が図星を言い当てながら声を掛け、少しずつ落ち着き始める。「特別だよ」の声掛けと共に給食で提供する牛乳を先に飲み、落ち着くことが出来る。クラスに戻っても相手に仕返しに行こうとする姿は見られない。
母に「これは何だ?」と問いかけて母が答えると合っていても「ブップー」と言ってふざけてブラックユーモアを発揮した。
絵本を見ながら「ウツボは長いよー、海の中泳いでるんだよ」と解説した。
3歳10ヵ月~11ヵ月
母から、他児に何かされたと思い込んだ時に相手に攻撃しないと気が済まないという時はどのように対応したら良いかとの相談があった。担任は本児の嫌だった気持ちを先ずは十分受け止め、「されちゃったんだね、やだよね」と“図星を言う”をして、お母さんが実際にしていなくても「代わりに叩いて来たよ」と演技し、児の気持ちが収まるよう対応する事を提案した。
M君とぶつかり転倒。M君が覆いかぶさる形になり、その際に顔をつねられたことで泣いて怒る。「M君叩きたい」と泣き叫び気持ちの切り替えに時間を要した。
朝の会の途中で「ホールに行きたい」と泣いて崩れるが、朝の会をおしまいにしたら行くことを伝えると泣きながらもイスを片付けることができた。これは行動予定を知らせて児に順序立てた行動を促す“二つ先のアナウンス”の成果である。
朝の会で他児に「ピンポン」されたことを叩かれたと思い、やり返したい気持ちから「叩きたい」と何回も言っている。やっている内容やこれからの内容について注目を促すが聞く耳を持てずに興奮状態。代替品としてクッションを叩くように促すも拒否。「先生なら叩いて良いよ」と伝えたが聞く耳持たず。母が代わりに他児を叩く話で納得するが、母が優しく叩いたのが触った程度であることを見て気持ちが収まらない。最終的に他児の母のお尻を叩くことで満足したので、担任が「やさしくね」と声を掛けると加減して叩き気持ちの切り替えができた。この間40分ほど掛かったが、みんなでしていたクッキングに気持ちが向いた。
尚、「ピンポン」とは朝のお名前呼びの時、職員あるいはそばに付いている母親が「ピンポーン」と言いながら人差し指で次の子に軽くタッチするのを提示し、次の子に『次はあなたよ』を知らせて心構えを持ってもらう方法ですが、一番の目的は子どもが他児とのコミュニケーションの手段・方法として自ら軽いタッチ(ピンポン)ができるように仕向けて「ピンポン」を習慣化することです。
他児と遊びたいのにどう関わって良いのか分からなくて、相手を押したり叩いてしまったりする子に対して、職員がその子の行動を見越して押す叩く直前に「~くん(相手の子)、ピンポーン、あそぼ~」と言いながら人差し指タッチをしてモデル提示をして遊びに誘い両者の遊びの仲介をします。成功体験を積んでその子が自分で他児を遊びに誘う合図として「ピンポン」ができるまで支援しています。
親子遊びの際、A君はホールのステージ上で参加していたが他児がステージに上がったところでその子を蹴った。
他児がA君の言葉の真似をするとおもしろくないようで大声で怒ったが、切り替えは早く成った。
他児への関心が強く成って、ホールでの自由遊び内で他児が服を脱いで遊んでいる様子を見て真似て服を脱いだ。
ホールで他児とぶつかる。ぶつかった相手が起き上がる為に本児を支えに立ち上がる。本児は引っかかれたと思い仕返しを訴える。クッションを叩くように提供するが、「叩きたい」を繰り返し母に抱っこを求め、クラスに戻り叩くと言ったり涙を見せて葛藤している様子が見られた。ぶつかった相手が側に来ても見向きもしなかったので、本児の中では叩きたい気持ちは終わっていると解釈した。母に抱っこの仕方など要求し母がそれに応えることで少しずつ落ち着き、40分ほどで気持ちを切り替えられた。
職員が仲介すると他児と遊び・場を共有して遊ぶことが出来るようになる。想像遊びが
豊かで、ブロックを使って本児が好きな動物を作り職員を介して他児と一緒に成り切りごっこ遊びを楽しむことが出来る。
ブロックで鳥のような形を作り、「鳥飛んでいるの」「○○したいよーって鳥言ってるの」と言いながらホール内を回る。鳥やうさぎ、恐竜などを体で表現しながら成り切って遊ぶこともある。
本児「サンショウウオ買ってきたよ」と手で持っている振りをしながら担任に言う。他
児が買ってきた水槽に入れようと担任が提案。何もない空間に「ここに水槽おいたよ」と示すと、その場所を目掛けて水槽に入れる振りをする。魚を捕まえる想像遊びをした。
倒れている担任の体の上に他児が乗り遊んでいる場面で、正義の味方になり他児を叩く様子が見られたので職員が図星を言うことで納得して叩くのを止めた。これは本児が先生の上に乗るのは良からぬ事と解釈して注意するつもりが好ましくない暴力に成ってしまったと言う事であり、セーラームーンの「月に代わってお仕置きよ」つまり先生の代わりに指導してやろうという気持ちの行動化である。4~6歳児では稀ではない行動である。
ホールでの自由遊び時、担任の手を引き抱っこを求める。Aを抱っこした後に他児を抱っこしたことで納得いかず他児を叩こうとする。担任がAの気持ちを代弁しながら他児に当たらないようにすると、叩くことを止め、泣きながら担任に抱きつき、気持ちを切り替えた。
数を数えるようになった。
III.仕返ししたがる児の心に関する考察
心理学には、敵意帰属バイアスが高い、と言う概念がある。
例えば、擦れ違いざまに偶然肩がぶつかった時に相手は態とぶつかって来たと思い込む傾向の強い心情を言う。平たく言うと「俺は悪くない、相手が悪い」と思い込む傾向の強いと言う事で、こういう場合は当然仕返し行動を取り易くなる。
本児は療育中に女児を叩こうとする様子は見せないので、担任は児の今までの経験の中で「男児」というポイントで嫌な記憶となっているのではないか。その経験をもとに仕返ししたがるのではないかと考えた。
本児は一人っ子の男児、母は本児の子育ての中で、本児の叩く行動に対して叩かれたら痛い事を本児を叩いて分からせる事が必要だと考え、叩く躾をして来たと言う事だった。我が国では残念ながら叩く躾は多くの人がやっている。
発達心理学は4歳未満の子は誰でも他者視点、つまり他人の立場に立って物事を考える、あるいは他人の心や思いを推測し理解する、すなわち他者の目の色つまり表情を読むのは未熟である事を明らかにしている。
だから、叩かれた時の自分の痛い思いは当然分かるが、自分が叩いた場合に叩かれた相手が痛い思いをしていると言う理解には至らない。
従って、叩いて人の痛みを分かってもらおうとする叩く躾は無効であり、むしろ叩かれて痛い思いを強いた叩いた人への恨み不満感を生んでしまい、その結果、仕返ししたいと言う思いを育ててしまうのである。
我が国においては体罰禁止が叫ばれる中で叩く躾は一向に無くならない。
何故、子どもの躾教育において叩く躾が消失しないのかと言うと、「言って分からなければ叩いて教えてやる」の教育思想が未だに罷り通っているからである。
子どもを虐待死させて逮捕された人は大抵「躾のつもりだった」と言い訳する。だから、児童虐待が無くならないのはこの叩く躾が根源であると言っても過言ではない。
大相撲の貴の富士が付け人を繰り返し叩いて引退させられた際、「言葉で何回言っても伝わらない場合、手を出さない代わりにどう指導したら良いか教えてもらっていない」と不満を述べた。これは「叩いて教えてやるのが悪いんなら、どうすれば良かったんだ!」と言う指導者および世の中への反問であり、更には多くの人が叩かないで教え諭す教育方法を知らないという日本の現状の象徴的暴露である。
叩かれたら子どもはどう思うであろうか。
先ずは痛いのを早く無くそうとして「止めてよ」と言う思いが生じ、頭の中は防衛のための行動の模索に集中しつつ取り敢えずは「止めてえ」と発する。が、頭の中は引き続き防衛の事を考えながら身を守る意識と行動に忙しくて外界からの言葉を聞こうとする注意力が薄れる。つまり、聴く耳が無くなるので、掛けられた言葉は聞こえなくなる。
だから、叩く人は「何度言っても分からないんだからあ」と思って暴力がエスカレートする。
それでは、どうしたら聴く耳を作れるのか。
教育は教え諭す事である。学校の先生を教諭と言う。教え諭すには「~して」「~するのが良いんだよ」「~しなさい」と「~」を提示し、「~」に乗ってもらう事が教え諭すの成功である。
それには聴く耳が作られておかなければならない。
聴く耳を作る方法を以下に解説する。
図星を言われた人は、「図星を言ってくれた人は自分の事をよく分かっているんだ」と言う思いが生じ、「分かってくれてるんだから信頼できる」に発展し、「信頼できる人なんだからその人の言う事を聴こう」という意欲が高まる。つまり聴く気が高まり、聴く耳ができる。
図星を言われてから教え諭された人は「分かってくれていて信頼できる人が言うんだから、言う事を聴こう」と聴く耳ができる。
図星を言って「あなたの考えは分かっていますよ」を先に伝えてから、「だから、~したら良いんですよ」と行動方針を示すと、「信頼する人が~って言うんだからやろう」という意欲が高じ、信頼できる人が言う内容が真似したくなる手本に成って、~に乗ってもらえる事になる方法が“図星を言ってから叱る(教え諭す)”である。
“図星を言ってから叱る(教え諭す)”は力を要しない教育方法であり、謙譲優先の日本文化に即した教育方法である。
謙譲とは相手の顔を先に立てる、相手を尊重していることを先に伝えてから、今度はこっちを尊重して下さい、こちらの顔を立てて下さいと言うコミュニケーション方法である。
謙譲つまり相手の尊重優先は心理療法の重要概念である受容の優先に通じる。
8年前のリオデジャネイロで2020東京オリンピックを誘致できたのはある女性の「オモテナシー」だったと新聞は報道しました。日本文化の謙譲精神を世界が歓迎したからでしょう。
乱暴な子への“図星を言ってから叱る(教え諭す)”の効果は発達研究センター報告40
「自由奔放傍若無人だったけれど我慢できる良い子に成れた子36人」に述べられています、ご参照ください。
「やられたらやり返す」が日本人の意識の中に根強く残っている事も問題である。
あるプロ野球投手は負け投手に成ると「次はリベンジして勝ちます」と言ってリベンジと言う言葉が流行った。
「百倍返し」が売りだった高視聴率のテレビドラマがあった。
こうした中、担任ら職員は仕返し行動は憂さ晴らし行動であると捉え、“やっても無害の憂さ晴らし”を作ろうと、母親には叩く振りの形で叩いたつもりを作る事を提案して来た。これを今後も保護者共々励む事とした。
また、キレちゃうのは我慢が未熟だからと考え、我慢の原動力である“良い子意識”を育てる支援も続ける事とした。
楡式療育の基本中の基本は“図星を言う・図星を言って叱る”である。
IV. 4歳から4歳8ヵ月卒園までの発達の姿と考察
4歳
担任がピアノを弾く場面で他児が先にピアノを弾き始めたことが嫌だったのか、独り占めしたかったのか(朝の体操時に部屋でピアノを自由に弾いて楽しむ経緯あり)、最初に弾き始めた他児を叩こうとする。担任が間に入ると叩かずに母の元に戻る。母に受け止めてもらったり、担任が気持ちを切り替えられるような声を掛けることで落ち着く。
朝の会でシール帳を配る時、本児にとって不意に他児が配りに来たことに驚き、手が出そうになる。児は「叩きたい」と怒りを露わにする。職員の代弁は届かない様子でいたたまれずホールへ。職員が側にいたことで母児共に落ち着き活動時に戻って来る。
他児の八つ当たりでミニカーを投げつけられる。やり返そうとミニカーを持つが当たらないように外して投げる。それで“やっても無害の憂さ晴らし”完了。
4歳1ヵ月
担任が他児に「アンパンチ」をし、本児が同様のことを行う度に「優しくね」と声を掛ける。最初は力加減が難しい様子ではあったが、優しく出来た時にOKの声を掛けるとその後はゆっくり優しく他児にパンチをすることが出来る。
途中で転び「大丈夫?」「しっかり」と言われることを楽しんだり、自分でも担任の口調を真似て「しっかり」と話していた。
他児と担任の取り合いになり、他児の髪を引っ張ってしまった。失敗してしまった表情をするが引きずることはなかった。
4歳2ヵ月
シーツブランコは順番を待ちきれず母に制止されて叫んでいる。2回目までは制止されながらも頑張って待つ。3回目は「やらない」と言って他児がやっている様子を見ていた。
自由遊びでは「いもむし」と称したモコモコのマスコットを職員に踏まれそうな所に置き、職員がびっくりするというやり取りを楽しみ、何度も職員の足元に置いては反応を見て大笑いしていた。
4歳3ヵ月
Sくんを見つけて手を繋ぎに行く。二人で手を繋いで走り楽しんでいるところでSTに誘われ、「行かない、ST嫌だ!」と怒って部屋へ隠れに行く。その後、渋々ながらSTへ。
「大きなかぶ」の絵本では絵本の端を持って一緒に引っ張っている。Hくんがおじいさんに成り切り本児を呼ぶが、それには応じずに絵本の端を持って引っ張り続けている。
椅子の位置に納得出来ずに母と揉めている。名前呼びも「やらない」と拒否している。
朝の会では棚の上段に入り下段に他児を呼んで勧める。シールを貼るところで母から「椅子に座ってやるもの」と声を掛けられ、考え葛藤している様子が見られた。
タイ焼き屋ごっこで「タイ焼きいかがですかあ」と売り込んだ。
4歳4ヵ月
他児に「貸して」と言われるとその時は貸すことができないが、遊んで満足すると他児の所に行って手渡すことができる。
歌う際は歌詞をごまかして普通に歌わないユーモアを発揮した。
ボールプールでは全身埋まるよう母や職員がボールをかけるのを楽しみ、全身埋まると「さなぎ」と言いながら出て来る。プールの中で他児の足が当たると怒り、やり返したくて母に「つよくアンパンチして」と言い、母と担任が「やっつけて来たよ」と言うと納得できて切り替えて遊ぶことができた。
外遊びからの帰り、他児に「手、つなごう」と声を掛け、玄関まで手を繋いで帰ってきた。
他児にちょっかいを掛けた事から強く押され床に倒れた後、床や職員を蹴って悔しい気持ちを強く表出(これは友達に向かって憂さ晴らしするのではなく、物や子どもより頑丈な大人に向かって憂さ晴らししたと言う事だから“やっても無害の憂さ晴らし”に近い行為で、児の心の発達の片鱗が見られたと言う事である)。絵本を読む頃には気持ちが落ち着く。
朝の会でシール帳を配られるタイミングが思いと違い、全身で不満を表出していたが、母がタイミングよく本児の思いの代弁と行動つまり仕返しの真似をしてくれた事で気持ちを切り替え活動に戻ることができた。
4歳5ヵ月
他児が投げたキャップが当たり、崩れる。
他児に叩かれた時には悲しい表情をして仕返しはしなかった。これは悲しみ感情で自己鎮静化できたから乱暴に至らなかったと言う事で、本児の心の成長を示している。
他児とぶつからないよう自分で判断し、足を使って方向転換やブレーキをする。
自由遊びでは他児が自分のまねをしたり追いかけて来ることを強く拒み、手をグーにして振りかざす姿が見られた(これは嫌な事をする仲間を脅したと捉える事も出来るが、叩こうとしたが途中で我慢できた、あるいは叩くポーズで“やっても無害の憂さ晴らし”を作れたとも解釈できる)ため、担任が児の思いと行動を図星を言って代弁し落ち着いた。
4歳6ヵ月
「何でこの鳥好きなの」と問われ、『だって、これねえ、羽がこんなに大きくて空飛ぶのかっこ良いんだよ』と自分の心を開陳した。
苦手な音楽療法を仲良しと一緒にするようになった。
自分の事を虫博士と言う。逃がしてしまった黒い蝶を捕まえたいと泣いた。
4歳7ヵ月
公園で虫取り網を持ち、虫を捕まえると気合十分で歩く。
4歳8ヵ月
「Aちゃんはねえ、この虫の~~に成ってるところが好きなんだよ。なんで先生は嫌いなの」と自分の感情を説明した上で相手の心を探る話し方をした。質問されて答えに窮すると話題を変えられる。
母の転勤に伴い退園となった。
V.総括
食事更衣排泄は自立、ごっこ遊びは想像遊びに発達、発話会話が進歩し思いを思い通りに言葉に乗せられるように成って泣き続ける事なく、分別我慢の心が発達し折り合いを付けられ集団の中にも居られるように成り、他者を愛でる社会性つまり向社会的行動も育まれ、癇癪暴れるのは無くなり、他児への乱暴も消失して半年経ちました。
A君は4歳代の子の多くが示す好ましい発達の姿を表し、卒園してもらう事ができました。
参考文書
子育て親育ち読本I・II・III、楡の会発行
楡の会ホームページ
発達研究センター報告18「音韻の発達 ~宇宙語・『その子語』から日本語へ~」
同40「自由奔放傍若無人だったけれど我慢できる良い子に成れた子36人」
同41「3歳前は言葉が遅れていたけど“図星を言う”など楡式言語療法で良く成った子49人」
同42「R君の“その子語”~R君語から日本語への発達過程~」
こどもクリニック通信 23 号「遊びが言葉を育てるわけ」