(35)楡の会こどもクリニック通信第35号(2020年2月)
2020.02.13

再登校できた子23人 石川 丹

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楡の会こどもクリニック通信第35号(2020年2月)

再登校できた子23人

石川 あかし

目次

I.登校拒否と学校恐怖
II.心理療法~行かない子と行けない子のために~
1.子どもの心中に“受容されてる感・分かってもらえてる感”を作る
2.分別我慢の心を育てる
3.学校に魅力を見付ける、魅力を作る
4.勉学意欲登校意欲を育てるために予習を企画する
5.“乗せる”が心理療法の基本
III.再登校できた23人の紹介
IV.23人のまとめ
V.考察
1.何故、行けない子の方がより多く再登校できたのか。
2.“安心作り”が出来たある中学生のエピソード
3.行かない子が少なかったのは何故か。
4.行けない子行かない子の年齢差とその対応
参照文献


I.登校拒否と学校恐怖

 今日、不登校と称される子は50年程前から、つまり第二次世界大戦敗戦後の新憲法の下に民主主義が始まって20年後の頃から現われた。
 品行方正成績優秀な子が突然登校しなく成り、登校拒否と称された。拒否と称されたのは戦後民主主義が根付き始めて子どもも強く自己主張をするように成ったと解釈されたためである。信念を以って行かない子と言える。

 また、登校意欲はあるが朝いざ登校と言う段に成ると頭痛腹痛など身体症状を訴え行けなく成る子が現われ、登校恐怖と称された。恐怖と称されたのは不安神経症の症状と考えられたからである。「行かなきゃいけない、行きたい、けど行けない」と葛藤している子と言える。

 今日の不登校という名称は拒否と恐怖の二種の心を無視して一緒くたにしているので、自分の心を対象化し自己説得自己操作して社会行動しようともがいている子どもに対して大変失礼な言い方である、と筆者は考えている。

 行かないと確信を持っている子も行けなくてもがしている子も親の「何で学校行かないんだ。ちゃんと行け」と言う気持ちは分かっていて肩身の狭い思いをしている。そうした子どもの切ない気持を理解し受け容れ、解決への道を提示するのが小児精神科医の努めである。


II.心理療法~行かない子と行けない子のために~

 子どもが学校に、行かない行けない、と成ると、大人は大抵「どうして行かないんだ。何が嫌なんだ?嫌な事を乗り越えよ。我慢して行け」と言う姿勢で子に迫る。こう言う姿勢は子どもには強制と映るから、戦後民主主義が浸透していて自己主張先行が普通の今日この頃の子は反発して益々、行かない行けない、状態に陥ってしまう。

 これに対して、受容先行の心理療法は、子に対して「君の気持ちは分かってるよ。だから、こうしたら上手く行くよ」と先ずは「君の事は分かっているよ、君を受け容れているよ、受容しているよ」を伝えた上で対策を提案し、それに乗ってもらう、つまり、教え諭す、の実践である。

 それでは具体的にはどうするか?


1.第一は子どもの心中に“受容されてる感・分かってもらえてる感”を作る。

 “受容されてる感”は平たく言えば“分かってもらえてる感”である。それには子の心、気持ち、意図を読んで“図星を言う”をし、「君の事はよく分かってるよ」を伝え、子どもに安心感を作り、「ママ(パパ)は僕の事をよく分かってくれてるんだから信頼できる。味方だ、頼りに出来る。安心安全基地だ」と言う思いを作る。

 大人の職場は人生の戦いの場であると言う言い方がある。とすれば、子どもにとっては学校は人生の冒険あるいは戦いの場であるとも言える。戦う冒険するには家庭が安心安全基地である必要がある。子どもがお母さんお父さんおうちが安心安全基地だと確信を持てれば冒険しに学校に行こうとするエネルギーと意欲は湧き上がる。


2.第二には分別我慢の心を育てる。

 子どもが大人に成る、の一面には、分別我慢を身に付ける、がある。大人の社会生活、特に職場では分別我慢ある行動の連続である。分別我慢ある行動は自己説得によって生まれる。自己説得するには他人の目を気にする目の色を読む、空気を読む、が必要である。

 子どもの場合は「~したらママは怒るよな。だからするなよ」あるいは「~したらパパは誉めてくれるよな、だからやれ」とママパパの目を気にしながら自己説得自己操作して分別我慢を発揮する。
 父母や大人に怒られないように叱られないようにするのは裏を返せば自分の評価を高める事で、平たく言えば良い子であると認められる事である。だから、分別我慢を発揮するためのエネルギーは“良い子意識”である。
 “良い子意識”を育てるために、誉める時は「良い子に成ったね、ママは嬉しいから誉めるよ」「良い子の○○に変身できたね、だからパパは誉めるよ」と言って誉める。
 子どもの心中に〝良い子意識“が育てば、人から誉められるような行動をするように自己説得できるように成る。


3.第三は学校に魅力を見付ける、魅力を作る。

 子どもが登校を渋る登校しないと成ると親は「何で行かないんだ。何が嫌なんだ。我慢して行け。頑張って行け」と言うのが普通である。何故かと言うと、今のこの国の教育理念には“困難を乗り越えよ”“苦あれば楽あり”“失敗は成功の元”など「好ましく無い事を克服したら好い事あるよ」があるからである。
 嫌な事を乗り越えるには物凄いエネルギーが要る。しかし、魅力ある事であれば取り組み易い。だから、親子で学校の中に“魅力見っけ”をする。親は「子は得手をやりに登校するのだ」と割り切って一度開き直る。

 親子で何が得手なのか話し合う際は得手には「やり易い」が含まれるので、学業だけでは無く、馬の合う親友あるいは親切にしてくれる級友は誰か、何時頃からなら登校し易いのか、行けそうな場所はどこか保健室か図書室か教室の廊下か、国語か算数ならどっちに行けそうか、どう言う方法なら行けそうか、など5W1H(What、Who、When、Where、Which、How)に留めないで、例えば、「どの授業なら行けそうかな?国語?算数?」等とニ択で問い掛けると子どもは答え易く成る。

 「どうしたら行けそうかな?ママが一緒に歩いて行く?ママの車で行く?」とニ択で訊いたら、歩くか車かは比較研究の題材に成り、子どもは「どっちが良いかな?でもママがそこまで気をつかってくれるなら僕一人で頑張って行くよ」と言う考えも浮かび易く成る。二択は問題解決への手掛かりが提示されるので思考が進み易く成る。

 親子で話し合う時は、親はいつも5W1H+ニ択で問い掛けるのが良い。

 「何で学校行けないか言って見ろ」とニ択を入れずに親は話し合うつもりで詰問きつもんすると、20年前の中学生は『微妙』、10年前後前の子は『別に』、近年の子は『普通』と答えて親子の話はそこでプッツンしていた。

 親が「何で学校行かないんだ、数学数学嫌いやなのか?いじめっ子がいるからか?」などとニ択で訊くようにすると、『俺って数学そんなに嫌じゃない。友達はみんな良い奴だ。実は~で行く気がしないんだ』などと自己の心を対象化するように成って親子の話し合いが建設的に成る。

 学校に行くのを渋り始めたら、親は子どもが学校の中に魅力を見付けるのを手伝うのが良い。嫌な事をやりに行くのではなく、好い事をやりに行くのだと考えるように勧める。

 例えば「学校の全部をちゃんとやるなんて難しいから得意な算数をやりに行くのだ、苦手な国語はそこそこでも良いんだ」と開き直って“好きこそ物の上手なれ”を実践するように誘う。
 好きな事得手をやればやり易く達成感を持ち易く自信も付き易く成る。有名な人は自分の得意技で有名に成っている。だから、学校で得手をかせられれば学校は魅力的に成る。
 行けなく成ったら、親は先ずは行けそうな授業を受けに、或いは好きなメニューの給食を食べに、はたまた得意な部活の練習に行くように、勧めるのが良い。

 例えば、国語の音読が得意なら音読をやりに学校に行く事、国語が終わったら下校を許可してもらい、登校し易い環境を作る。その際、国語だけで良しとする、と他児から批判が出るので、クラスメイトには事前に「○○君は今学校に来るのがつらい気持ちなので特別なんだよ。みんなも認めてね」と事情をアナウンスしてもらうのが良い。

 個に応じた教育つまり特別支援教育の理念が浸透している今日、“その子だけ特別”は十数年前よりずっと認めて貰えるように成っている。
 国語だけでも行ったら、前進は少しであるが親はお世辞を言う位の気持ちに成って大いに誉め、喜び、励まして学校に居られる時間を、得手を取っ掛かりにして、徐々に拡げ増やして行く、これが“好い事作り心理療法” 1,2,3) である。


4.第四は勉学意欲登校意欲を育てるために予習を企画する。

 学校の先生は予習復習が大事ですとよくおっしゃるが、どちらかと言うと復習を出すのが多い。宿題は家でするものだから出来ても誉めてくれるのは両親家族だけである。これでは「僕って結構出来るじゃん。だからもっと勉強しよう」と言う自信と意欲を育てるに当たっては迫力に欠ける。

 一方、前の日に予習をして教科書を読んだり問題を解いて置けば本番の授業で挙手の確率は上がる。そう成ると、廻りのクラスメイトに「○○君、すげえなあ。この頃よく手が挙がるよな」と感心されうらやましがられるように成る。そうするとドヤ顔の気持ちが増えて自信が付き、もっと勉強しようとやる気が出て登校意欲も増す。

 予習の成果の効率を上げるには、例えば、明日の国語は教科書の何ページをやるのか知って置かねばならない。そこで、筆者は親御さんに「精神科の先生が勉強意欲を育てるには予習が大事だと言われました。『明後日の国語は何ページやるのか教えて下さい』と訊いて前の日にお母さんもそばについて予習して下さい。始める時に『○○ページから○○まで読んでね』と言っても予習の成果を経験していない子どもは嫌がる事がありますので、初めはお母さんも一緒に勉強しようとする姿勢が大事です」と薦めている。

 予習は“想定内作り”と言う意味もある。人間誰でもやりたいと思ってやる。「~しよう」「~やりたい」と思う「~」は予定設定である。

 子どもは大人より予定記憶のスパンが短い。例えば、一週間前に予定を立てたら忘れる事もあるが、前の日なら明日の予定は記憶はし易い。予定記憶は未来記憶とも言う。登校前の朝に時間割を見ながら教科書をランドセルに入れるのは未来記憶のスパンの短い小学生でも授業の予定を未来記憶に留め易いからである。

 親が「~しなさいと言っても直ぐ忘れてしないんです」と訴えて来る場合がしばしばあるが、この状況はし忘れで未来記憶の喪失そうしつによる。こうした心配に対して筆者は「~しなさいよ、と言った後で~し終わるまで~、~、~って口の中でブツブツ言い続けるんだよ、と子どもに言って呪文じゅもんとなえて予定記憶を維持出来るようにするのが良いですよ」とお教えしている。

 予定通りに事が運べば誰でも達成感満足感喜びは大きい。「金メダル取るぞおっ」と意欲満々で金メダルを取った人の喜びは、「偶々たまたま偶然なんです」と言う人よりずっと大きい。
 誰でも予定内想定内であれば達成感満足感は大きく、次への自信も付く。


5.“乗せる”が心理療法の基本

 上記四つの基本的方法の他にも沢山ある方法は「子育て親育ち読本~子どもの好ましい行動を育てるための親力おやりょくアップを目指して“好い事作り療法”からのお薦めI・II・III」 1,2,3) を参照されたい。
 尚、子どもへの心理療法は、~に乗せる、がエッセンスである。親は子どもの教育を語る時によく「勉強させる」「塾に行かせる」など、~させる、と言うのが普通なので、~に乗せる、の心理療法とは好対照である。

 学校の先生の事を教諭と言う言い方があるが、教え諭す、とは「~したら良いんだよ」「~しなさいね」と手本としての~を子どもに提示し、~に乗って貰う、である。
 手本は呈示された子が「そんなの出来る筈ない」と思ったら乗って来ないから手本に成らない。「それって出来そう」と思えるようなやり易そうな手本を提示するのが肝心かんじんである。
 させられて気持ちの良い人はいないが、乗せられるのはものはゆい思いをしつつも悪い気持ちは少ない。
 コミュニケーションは駆け引き、取引き、交渉そして合意妥協であり、日本的には顔の立て合いっこ、恩の売り合いっこである。

 日本人には謙譲精神がある。謙譲とは「おもてなし」であり、相手の顔を先に立てる事、恩を売る事である。顔を立てられ恩を売られれば、お返したい気持ち、「恩に着る」と思う恩返しの心が湧き上がるのは人の常である。だからからコミュニケーションはより円滑に成る。

 “図星を言ってから叱る”では「君の気持ちは分かるよ」を先に子どもに知らせる事だから謙譲の実践である。

 子どもを~に乗せようとするのは決して子どもを甘やかす事ではなく、教え導く事である。


III.再登校できた23人の紹介

 以下は診療録(カルテ)からの抜粋ばっすいである。が、カルテには診療中にその時々の児の症状行動状態に応じて親子に説明した心理療法を全て記載し切れていない事をあらかじめ御理解下さい。

1.6歳9ヵ月小1男児

 1年生に成って初めは2年生の友達と一緒に元気に登校していたが、その内、学校が恐いと言って中々行けなかった。その後、少しずつ行けるように成ったと思ったら学習表会の後から全く登校できなく成った。行くと成ると頭が痛く成って母から離れられない。一緒に行くが途中で泣いて引っ繰り返って行けない。
 “安心作り・学校に魅力見っけ”などの心理療法 1,2,3) の説明をした。

1ヵ月後:母は「勉強させなきゃ」「学校行かせるにはどうすれば良い」と盛んに言うので、乗せる、を説いた。児は母に「○○(弟)と比べてどっち大切?」「ママはどうして優しくないの?」と言うとの事で、再度、“安心作り”を説明し、“ラブラブタイム” 1,2,3) を薦めた。
2ヵ月後:三学期の始業式には行って宿題と自由研究を置いて来た。
3ヵ月後:図書室通学が出来て、給食も図書室で食べて来る。
4ヵ月後:時々、教室に入れるように成った。
5ヵ月後:2年に成って担任が代わったけど、教室には入れずに会議室で勉強していて計算、漢字が上達した。
7ヵ月後:教室に入れる日が出て来たが、ある日に無理矢理入れられてから、また会議室通学に成った。
7歳10ヵ月:教室に入れるように成ったので、しばらく来なかった。

2.7歳1ヵ月小1男児

 就学2ヵ月後から登校前に吐き気嘔吐頭痛がして行きたがらなくなったので母が付いて登校。廊下でウロウロ大泣きして教室に中々入れないが入ってしまえば落ち着き、授業を受けて普通に下校する。
 幼児期は縫いぐるみっ子でたまに夜泣き寝言で「恐い」と言っていた。臆病で変な所で正義感が強い。就学後爪噛みが出て来た。
 不安感を強く感じ易い子、生真面目なのでちゃんとやらねばという気持ちが強く上がり症、出来なさそうだとオロオロし易いスロースターターと母に説明し、“安心作り・図星を言う・カウントダウン” 1,2,3) などを説明した。

1ヵ月後:母と登校して一旦保健室に入ると愚図ぐずりが少なく成ってスムーズに教室に行けるように成った。
3ヵ月後:保健室から教室に行けるのはプリントを取りに行く時だけに成った。
4ヵ月後:担任とサポートの先生が来院。“安心作り”とスモールステップのお願いをした。
6ヵ月後:教室前に椅子を持って行って教科書を読んでいる。
8ヵ月後。サポートの先生と勉強するのを楽しみにして登校渋りが減った。
9ヵ月後:小2に成って新しい担任の女の先生が優しく怒ってくれるので教室に入れるのが増えた。
10ヵ月後:苦手な運動会の練習の所為せいか登校渋りが増えた。
11ヵ月後:運動会が終わって良く成った。
8歳1ヵ月:サポートの先生が居なくても一人でやれる。
8歳2ヵ月:2学期に成って行きたくないと言い出したが、母と一緒に登校し教室に入れば授業を受けている。昼食は自宅で食べる。
8歳3ヵ月:今週からすっきりと普通に授業を受けて楽しくしている。
8歳5ヵ月:母とではなく友人と登校している、給食も食べている。
8歳7ヵ月:一人で歩いて登校している。
9歳11ヵ月:小4に成った。
10歳5ヵ月:母と一緒の事もあるが、ずっと登校している。
10歳9ヵ月:朝の行き渋りがちょっとあるけど行けている。
10歳11ヵ月:クラス替えがあって担任が代わったけれど大丈夫。
11歳10ヵ月:小6に成った。ずっと順調に登校していた。

3.7歳4ヵ月小1男児

 4歳の頃から雨が降ると恐がって泣いていた。学校に時雨しぐれが降ったり雷が鳴ると恐がって泣きじゃくってしまう。朝晴れていても雲を気にして「雨降りそうだから学校行きたくない」と言いながら行く。
 母には不安を感じ易い子のための“図星を言う・安心作り・学校の中の魅力見っけ” 1,2,3) などを説明した。

2ヵ月後:天気とは関係なく登校渋りに成ったので、無理に連れて行っていたら全然行かなく成った。無理強いが良くない事を改めて父母に伝え、“図星を言ってから叱る”を説明し、本人が送れと言う時は送って行って段々送る距離を短くするようにするフェーディング療法(子育て親育ち読本I、57ページ参照)をお教えした。
4ヵ月後:週に3~4日は帰りの会の時刻に母と一緒に行き、教室をのぞいて宿題を提出しプリントをもらって帰って来るように成った。
5ヵ月後:5時間目に母と一緒に行って1時間授業を受けている。放課後友達を自宅に誘って遊んでいる。
6ヵ月後:小2に成り、母が付き添って3~4時間目に行って勉強に集中している。給食も皆と一緒に食べられるように成り、帰りは一人で帰れる。「安心作りの効果が出ましたね」と父母をめた。
7ヵ月後:母は「2時間目から行くように成りました。昔だったら今の状況考えられなかったもんね」とつぶやいた。
8ヵ月後:母と一緒に1時間目から行き、母は直ぐ帰って来る。
8歳5ヵ月:遅刻の日もあるが、普通に一人で行っている。

4.7歳4ヵ月小1女児

 8ヵ月前に就学してから母が一緒でないと登校せず、今は母が教室の後ろの方に座っている状態。こだわりは強く、頑固、失敗しそうな事はしない子、との事で“安心作り”、“自己説得の心作り” 1,2,3) などを説明した。

1ヵ月後:出来なかった教室での発表が出来た。
3ヵ月後:授業中の挙手が増えた。2時間目が終わると「ママ帰って良いよ」と言って一人で最後まで居られる日が出て来て、先週は2日あった。
5ヵ月後:小2に成って1ヵ月、母は連日2時間目で帰宅できる。
6ヵ月後:毎朝、母が学校の玄関まで送るだけで後は一人で最後まで居られる。
10ヵ月後:胆振東部地震の後に行けなくなったが、今は朝の会だけは出席できる。
11ヵ月後:発表会の練習に出られた。
8歳5ヵ月:朝行けなくても午後に行く日がある。
8歳7ヵ月:席替えで幼馴染おさななじみとなりにしてくれて、母が連れて行くと一人で教室に居られる。1回だけ泣いて電話して来た。
8歳10ヵ月:小3に成った。幼馴染と同じクラスにしてくれて毎日一人で頑張っている。行けなかった日は2回だけだった。
8歳11ヵ月:毎日登校している。
9歳1ヵ月:「学校楽しい」と言っている。
9歳2ヵ月:久しぶりに一日休んだ。

5.8歳3ヵ月小2ダウン症男児

 学校に「行きたくない」と言って行かなくなった。元々頑固な所がある。
 “安心我慢作り” 1,2,3) などを母に説明した。

1ヵ月後:登校しないが、さびしがっている。
2ヵ月後:小3に成って担任が代わった。「新しい先生、見に行こう」と誘ったが行かない。
4ヵ月後:順調に登校している。筆者は「お母さんがこの子の心に“安心作り”が出来たので安心安全基地から新しい先生の所に行けるように成ったんですよね」と解説した。
9歳10ヵ月:ずっと順調に登校している。

6.8歳5ヵ月小3女児Rちゃん

 7歳半頃から頭痛やのどまった感じが出現、1ヵ月後には急に膝が痛く成ったり硬く成って動けなく成り数日歩けなく成るのを繰り返し、痛く成ると泣き叫んで暴言を吐いたり暴れて母を叩いたりする。学校は行けないが塾とプールは行けている。病院では身体はどこも悪くないので心の問題と言われた。元々、車酔い、眩暈めまい、寝起きが悪い、頭痛があり、今も毛布っ子で指しゃぶりがある。
 不安を非常に感じ易い繊細な子と母子に説明し、“安心作り・図星を言う・図星を言ってから叱る・良い子のRに成ったね、学校の魅力見っけ” 1,2,3) などをお薦めした。

3週間後:痛くても歩けるように成り、学校に行ける日もあり笑顔が増えた。
1ヵ月後:膝が硬く成っても、頑張って歩いて登校が増えた。痛くなったら自分で先生に言って保健室に行ける。
本人が筆者に「足が痛い時はどうすれば良いんですか」と訊いて来たので、「“痛いの痛いの、飛んでけえ”と心の中でおまじないすると痛くなく成るよ。そうするのが自分で自分にする心理療法ですよ」と説明した。
2ヵ月後:足が動かないのが3回あり、その時は“痛いの~飛んでけえ”で治って登校した。早退は2回だけだった。腹痛の時は自分で腹巻をして「大丈夫、大丈夫」と言っていた。
筆者は「これは自分を対象化して自分を励ましている、自己説得している事だから、Rちゃんの心が成長した証拠です」と母子を誉め励ました。
3ヵ月後:足が痛い突っ張る事はあるが「段々治るから」と言って登校する。友達とも楽しく遊んでいる。
5ヵ月後:足が痛いのはほとんどなく成った。朝は自分を励ましながら起きている。「死んでしまいたいくらいつらい」と素直に母に訴えられるように成った。
8ヵ月後:学校に行けないのは月に1~2回。親に生意気な口をくように成った。
1年後:4年生に成って「新しい担任に『思いやりがあってクラスにいて欲しい子』と言われた」と母は笑顔で述べた。
1年3ヵ月後:ちゃんと教室にいて保健室に行く事はない。

7.9歳5ヵ月小3男児K君

 2週前から頭痛、身体に力が入らない、イライラする、夜眠れないと訴え、親がいずれ死ぬのが怖いと言って泣く。1週前から学校に行けず外出もできない。学校行かなく成ってから不眠はなく成った。もともと生真面目神経質で相手に気を使うタイプ。
 “図星を言う・図星を言ってから叱る・安心作り・良い子のKに成ったね” 1,2,3) などを父母に説きました。

1ヵ月後:父母が一緒に外に行こうとすると、家の中を逃げ回って出掛けない。「学校は行きたいのに行けない」と言いながら学校の事を心配している。夜「このお」「敗けたくない」「自殺してやる」「生きてても詰まんない」など寝言を言いながら布団を蹴る。
 父母には「寝言は夢の中で日中の振り返りをしている事に成るので悩んでいる証拠です」と説明し、「寝言に対してお母さんお父さんは会話して下さい。例えば、「このお」と言ったら『怒ってるんだ』、「負けたくない」と言ったら『頑張れえ』、「自殺してやる」と言ったら『死にたく成っちゃんだ。死んだらママ悲しいから死なないで』、「生きてても詰まんない」と言ったら『詰まんないんだ。好い事作ろうよ』などと励ましの声掛けをして下さい」と頼んだ。
2ヵ月後:寝言が減り、前より外に出られるように成り、1日だけ登校した。
父母に「誉めてますか」と質すと否定するので、“OKの声掛け” 1)を説明し、「1日も行けて良かったねと、も、を強調して誉めて下さい」とすすめた。
 また、「外出した日にカレンダーに花丸を付け、しなかった日には何も付けないで下さい。そうすれば丸がどんどん増えて自信が付きます」と認知療法を進言し、「寝言が減ったのは、“安心作り”が順調の証拠です。お父さんお母さんには表彰状ですね」と父母を誉めた。
3ヵ月後:小4に成って登校し始め、3週目からは毎日行っている。寝言はない。
4ヵ月後:毎日登校している。

8.9歳11ヵ月小4男児

 小3の11月に苛めにってから不登校と成ったが、小4に成って1学期は登校した。2学期に成って、一緒に学校に行く約束していた友達に置いて行かれたと思い込んでから、「教室は入れない」「学校恐い」と言って登校できなく成った。
 母が車で連れて行くと学校の前で過呼吸に成り「無理無理」と言って母にしがみ付いて泣くように成った。以来この1ヵ月登校できていない。
 元々、感受性豊かで喜怒の差が激しく生真面目でもあるとの事で“安心作り・自己説得作り・魅力見っけ” 1,2,3) などの心理療法を母に解説した。

2ヵ月後:母が誘ったら母と一緒に2回玄関まで行けた。
3ヵ月後:母に「どう思う?」「どうしたら良い?」と訊いて来るのが増え、聞き分け良くなった。「10秒でも良いから玄関に入ってみよう」と誘ったら行けた。
4ヵ月後:冬休みの宿題を学校に母と取りに行った。母が帰宅すると「サプライズ」と言って花を呉れた。「花言葉を調べて花を選んだ」とも言った。
5ヵ月後:始業式は放課後登校。土曜参観は教室に入れてちゃんと話を聞いた。
6ヵ月後:「支援員の所に行くより学校の方が良い」と言って登校が増え、テストも受けられ、1日一杯居られる日もある。
8ヵ月後:小5に成って1ヵ月、週3日は行けてる。
10ヵ月後:毎日行けるように成って宿泊学習も行けたが、また週2日にもどった。
11ヵ月後:彼なりに週3日行くと決めてカレンダーを見て行く日を選んで行く。行く日はすごい張り切って行く。
11歳0ヵ月:教育委員会の先生に「学校行ったら」といわれてから行かなくなったが、最近は五月雨さみだれ登校している。

9.10歳5ヵ月小4女児

 2ヵ月前から「面倒臭めんどくさい、やりたくない」とよく言っていたが、1ヵ月前から「朝起きられない。だるい」と言ってごろごろ寝てばかりで学校に行けない。
母には「ごろごろしているのは学校の中に魅力がなく成ったからと考えて“学校の中の魅力見っけ”に心を配って見て下さい」と説明し、“図星を言う・図星を言ってから叱る”など“好い事作り療法” 1,2,3) を勧めた。

1ヵ月後:図星を言うと照れ臭そうにする。この1ヵ月で4日行けたとの事で「4日も行けたねと、も、を強調して誉めて下さい」と誉め上手に成る方法を説き、「行けた日にカレンダーに花丸を付け、行かなかった日に何も書かないで下さい」と認知療法を説明した。
2ヵ月後:児は「学校も家も詰まらない」と言うとの事で、筆者が母に「まだ学校に魅力が見付からないんですね」と言った所、母は「ひまなら学校行ったらと言うと怒るんです』とおっしゃった。
 ここで母が“好い事作り療法” 1,2,3) をしていないのが判明したので、改めて“好い事作り療法”を母に説き、本児に対しては「悩んでいるのに忙しくて心の中は暇じゃないよね」と受容的に励ました。
3ヵ月後:小5に成って始業式から3日は行けた。
 筆者が児に今の趣味をただすと、お絵描きとの事であったので「“好きこそ物の上手なれ”だからお絵描きを沢山して作品を貼るボードを作って達成感満足感を感じるようにして下さい」と母にお願いし、児には「お絵描きの合間あいまに学校行けば良いと考えるのが良い」と励ました。
4ヵ月後:毎週2日は行っている。母に「カレンダーに花丸を付けていますか」と訊くと、『してない』との返事だったので「頑張ってやって下さい」と改めてお願いした。
6ヵ月後:週に4日は行けているとの事で児を大いに褒めた。
8ヵ月後:毎日行っている。

10.10歳5ヵ月小5男児

 心因性痙攣を起し不登校状態との紹介状を持って受診して来た。
母には神経症の説明をして“安心作り・図星を言う・図星を言ってから叱る・事前アナウンス” 1,2,3) などを薦めた。

1ヵ月後:変わりない。
2ヵ月後:友達と公園に行けた。
3ヵ月後:毎日、率先して登校している。

11.10歳8ヵ月小5女児

 5年生に成ってクラス替えがあり先生も代わり、クラスの子にいやな事を言われて泣いて夜中に寝られなく成り、食欲も落ち、登校できない日がある。
 母子に“図星を言う・図星を言ってから叱る・安心作り・逃げるが勝ち次があるさ” 1,2,3) を説き励ました。

1ヵ月後:男の子に嫌な事を言われて泣いて落ち込んだ、その子に会うのが嫌で夜中に寝られない、など悩みを母に言えるように成った。
 「不安を口に出せるように成ったのはお母さんが安心安全基地に成ったあかしです」と母を褒めた。
2ヵ月後:遅刻はあるが行ける日がぐんと増えた。母に“OKの声掛け”を説明し「子育て親育ち読本」 1,2,3) を薦めた。
3ヵ月後:母は「2週前から毎日きちんと登校してます。先生の本を読んで、前に言われた“図星を言う・図星を言って叱る・OKの気掛け”をしっかりしたら良く成りました。先生のやり方って凄いです、グッとグッと落ち着いて来ました」と笑顔で述べた。

12.10歳10ヵ月小5男児S君

 1ヵ月前から不登校、先週は2回行けた。本人は「いじめられてる」と言っている。小3から発表会の前に成ると不安定になり学校を休んだりしていた。母が怒ると泣きながら物を投げる壁を叩くなど乱暴に成る。寝言があり「止めろ」とか叫ぶ。
 父母には「繊細な性格なので不安を感じ易く、思い通りに成らないと逆切れし易い子、上がり症でもありますのでストレスが溜まり易い子です」と説き、“安心作り・憂さ晴らしタイム” 1,2,3) などを説明し「行けそうな時間割から行き、段々に増やして行くのが良い」と勧めた。

1ヵ月後:遅刻したり、昼から行ったり、ちゃんと行ける日もある。母が柔らかい物を与えて「投げて憂さ晴らししよう」と誘ったらそれを投げて憂さ晴らししているとの事で母を褒めた。
2ヵ月後:担任の先生が「Sはやる気が出て来た」と言ってくれてからはちゃんと行く日が増えた。
3ヵ月後:この2か月は休みなく登校できていて「学校は楽しい」と言っている。「お母さんが安心作り出来ましたね」と母を褒めた。

13.11歳0ヵ月小5男児

 1ヵ月前から学校に行けない。元来、初めての所に行くと胸が苦しく成る、不安な事があるとめる子。
 “図星言う・安心作り” 1,2,3) などを薦めた。

1ヵ月後:10日前からびっちり行っている。
4ヵ月後:1学期はちゃんと行った。
6ヵ月後:凄く良い、下校後は友達と元気に野球している。

14.11歳1ヵ月小5男児H君

 4ヵ月前から学級崩壊と成り、いじめにっても我慢して登校していたが、1ヵ月前から「いじめっ子、学校が恐い」と言って行けなくなり、「手首を切りたい」「誰も居ない所に行きたい」と言っている。
 “図星を言う・図星を言ってから叱る・OKの声掛け・安心作り・恐いの恐いの飛んでけえ” 1,2,3) を説いた。

2ヵ月後:本人は「病院に来て良かった」と言った、と。母は「図星を言われて良かったんだろう」と述べたので、お薦めした心理療法を母が実践している事が判明した。
 恐怖感はほぼ無くなって、友達を家に誘ったり誘われたりが出来るように成った。フリースクールは週2日行けているとの事で「4割も行けて偉い。打率に例えればイチロー以上だ、凄い」と褒め、“逃げるが勝ち次があるさ”を勧めた。
3ヵ月後:週1で友達が来る、フリースクールは一人で行ける。
4ヵ月後:6年に成って相談室でテストを受けた。苛めた子が謝っていたと友達が伝えてれた。
5ヵ月後:運動会は見に行って「楽しかった」。苛めた子が謝りに来てからは朝ドキドキするけど2週間毎日行けた。ドキドキしたら「ドキドキ飛んでけえ」と心の中で呪文じゅもんとなえるように、と薦め励ました。
8ヵ月後:修学旅行に行けて毎日登校している。
10ヵ月後:恐がるのが減った。
1年後:困る事は無い。通院終了を本人も了承した。
1年半後の12歳7ヵ月:毎日登校して小学校を卒業したが、中1に成って2ヵ月後にまた苛めに遭い、「怖い」と言って腹痛が出て行けなく成った。“良い子のHに成ったね・ママのために学校行ってね” 1,2,3) などを薦めた。
12歳8ヵ月:夏休み前は週1回夜スクールカウンセラーの所に行っていた。
12歳9ヵ月:2学期の始業式は学校の前まで行った。スクールカウンセラーの所には行った。
12歳10ヵ月:相談教室に毎日行っているが教室はまだ。学校祭のバザーにいじめてた子と行けた。
13歳2ヵ月:普通教室に行けない事で落ち込んでる時がある。
13歳5ヵ月:中2に成って2ヵ月行けてなかったけど、昨日は行った。
13歳6ヵ月:進路相談では高校進学を希望した。
13歳9ヵ月:2学期の始業式には行ったが、不安さはなかった。
13歳11ヵ月:指導教室で仲良しが増えて毎日行っている。
14歳5ヵ月:中3に成って全日制高校を志望した。
14歳9ヵ月:いつも通り定期テストを通り受けた。
14歳11ヵ月:英検4級に合格した。
15歳4ヵ月:週3日登校の私立高校に合格して通っている。
15歳6ヵ月:友達も増えて学校は楽しい。
16歳0ヵ月:張り切って登校している。

15.11歳2ヵ月女児

 来院するも本人は車の中で入室しないので、「顔は見たいので動画で撮って来て欲しい」と母に依頼。母が撮った動画の中で本人はちゃんと自己紹介していた。
 3ヵ月前に小5に成って新しい担任に「元気が無い」と決め付けられたような言い方をされて、先生の前で声を出して泣いてしまってから学校に行けなく成った。今は母と一緒に登校して教室の脇の廊下に通っている。
 母には「プライドが凄い高い子です」と説明し、“安心作り・魅力見っけ” 1,2,3) など“好い事作り心理療法”を薦めた。

1ヵ月後:廊下通学。
2ヵ月後:授業は会議室でテレビの生中継で受けている。家では勉強意欲が増した。
4ヵ月後:同様。
5ヵ月後:行けない日が増えて泣く。行けたのはこの1ヵ月で4日だった。
6ヵ月後:「身体は行けてないが気持ちは行けてる」と本人が言った。
8ヵ月後:小6に成って先生代わった。始業式は母と一緒に教室に入った。
10ヶ月後:玄関まで行っているが、教室に入れない自分をなげいている。
11ヵ月後:修学旅行は母の車でバスに付いて行き、みんなに歓迎された。みんなと一緒のホテルに母と泊まった。その後、登校意欲が増し、毎日駐車場まで行っている。
12歳5ヵ月:誰もいない教室なら行ける。
12歳8ヵ月:玄関まで行けている。中学に成ったら行くと言っている。
12歳10ヵ月:勉強は春休みからやっていて中学生に成って1ヵ月、毎日楽しく登校、勉強も部活の吹奏楽もやっている。

16.11歳7ヵ月小6.男児

 学校に行けない、無理に連れて行くと保健室で泣いている。妹弟に焼き餅を焼き、「僕だけが嫌われてる」「お母さん、僕、嫌いなんでしょ」となげねる。幼時期は拘りがあり、直ぐ手が出ていた。
 母には“安心作り” 1,2,3) など“好い事作り心理療法”を解説した。

1ヵ月後:母が言うとこの子は「図星じゃない」と言い返して怒る。
2ヵ月後:母と一緒に学校の駐車場まで何回か行った。
3ヵ月後:朝の会、発表会の練習には登校している。
4ヵ月後:発表会終って、図工、社会、理科の授業、クラブに出ている。
7ヵ月後:学校は図工だけ行っている。
9ヵ月後:私立中学に入って1ヵ月経つが全部行っている。テストの成績は良かった。

17.11歳9ヵ月小5女児

 頭痛腹痛眩暈めまいを訴えて1年前から週1でプリントを貰いに登校するのみと成っている。好きな事に熱中する、負けず嫌い、忘れ物が多い、癇癪があり自分の都合を優先させる、「好きな飼い猫をギューとしてしまい猫が嫌がるのでしないようにしているが、どうしてもやってしまうのがつらい」と言っている。
 我が強くて生真面目タイプなので今ちゃんとやれてない自分に対して心が落ち着かない状態、つまり不安状態と説明し、家庭と父母が安心安全基地だと思う意識作りである“図星を言う・図星を言ってから叱る・「しか」から「も」の声掛け” 1,2,3) などをお教えした。

1ヵ月後:昨日眩暈で倒れて頭を打った。父は家で勉強してないと言うので本人に確かめると、貰って来たプリントはちゃんとやっているとの事で「これは勉強している事に成るので褒めてやって下さい」と父の否定的な考えをやんわり批判した。
2ヵ月後:小6に成って始業式から毎日登校している。
3ヵ月後:本人は「その後も1日も休まずに行ってる。運動会の委員や旅行の係をしている。ゲームより友達と遊ぶのが楽しい」と伸び伸び述べた。

18.12歳1ヵ月小6男児Y君

 6年に成って1ヵ月で5日しか登校しなかった。朝起きても「学校行かない」とはっきり言って布団から出て来ない。頑固、かさに掛かる時がある一方拗ねる事もあり、強く怒られると過呼吸に成る。
 母は「最近の子育ては、おこらない怒鳴どならない、と言われてますが、おだやかに何回注意しても言う事を聞かない場合の対処方法を教えて下さい」と訴えた。
 母には「この子は我が強い一方で繊細で感じ易い子です。お母さんはそんなにガミガミ言ってる積りが無くても、繊細なY君にとっては強いショックを感じるのでしょう。だから過呼吸に成ってしまうのです。ですから、この子の心に『お母さんは俺の事を良く分かってくれている人だから信頼できる。だから言う事を聞こう』と言う気持ちを先に作っておいてから叱ると、お母さんの言う事を聞くように成ります。それには“図星を言う・図星を言ってから叱る、良い子のYに成ったね”をして下さい」と詳しく説明した 1,2,3)

1ヵ月後:母は「先生に言われた事を取り組んだら良い感じです。図星を言った積りでも「今違ったね」とこの子に言われる事もあります。素直に成って来ました。この1ヵ月で登校しなかったのは1回だけでした」と嬉しそうに述べた。
4ヵ月後:2学期に成って1ヵ月半ちゃんと学校に行っている。テストでは100点を何回か取って来て母はびっくりした。本人は学校で集中していると言っている。本人もここに来たいと言うので来たとの事で「Y君は何か訊く事ある?」と質すと『ありがとうございます』と答えた。すると母は「この子先生が大好きなんです」とおっしゃった。

19.12歳11ヵ月中1女子Yさん

 去年の秋から学校や友達の事を言わなく成り、月に1~2回休むように成った。3学期に成って2週間全く行ってない。
 本人は「友達の態度が変わり陰口を言われているような気がする。教室にいたくない。友達の作り方が分からない。夜寝られない。心を強くして学校に行きたい」と述べた。
 母子には“悩みまくって悩み上手に成る・図星を言う・図星を言ってから叱る・安心安全基地意識作り・良い子のYに成ったね・汝自身を知る・開き直って行ける授業から行って徐々に増やす” 1,2,3) などを説明した。

1ヵ月後:行ける時間のみ行くようにしたら、適応教室に行けるのが増えて夜も眠れるように成った。行けた日にのみカレンダーに花丸を付ける認知療法をお薦めした。
2ヵ月後:中2に成った。適応教室に週4日行っている。「4日は8割だから凄く沢山行けてる事に成るね」と誉め励ました。
3ヵ月後:毎日フルタイム楽しく登校している。新しい友達とも上手く行っている。

20.13歳1ヵ月中1男子

 半年前から五月雨さみだれ登校で今は週2日。小3から支援級、12歳8ヵ月時WISC-III、FIQ68(VIQ63、PIQ80)。
 “好い事作り療法” 1,2,3) を説明した。

2ヵ月後:中2に成った。同様の登校状態。
4ヵ月後:宿泊学習に行った。
14歳5ヵ月(中3):久しぶりの受診。学校はやはり行ったり行かなかったりで友達が誘ってくれると行く。友達と話しに学校に行く。
14歳8ヵ月:貰って来たドリルはやっている。数学が得意。早く高校に行きたい。
15歳0ヵ月:週3日登校の高校に決まった。
15歳4ヵ月:高校に入って2ヵ月経ってしっかり通っている。フィジークと言う筋トレのジムにも通っていて勉強と両方熱心にやっている。
17歳8ヵ月:しっかり登校し、ジムにも通って筋肉が付いて立派な体格に成った。本人に「人生、充実してるね」と声掛けした所、「先生のお陰です」と言って来たのでびっくり「流石さすが17歳」と感激した。

21.13歳3ヵ月中2男子

 頭痛、ふらつき、体調不調で登校していない。趣味の料理はやると楽しい。
 “図星を言う・図星を言ってから叱る・安心安全基地意識作り・学校は行ける時で良い” 1,2,3) を説明した。

1ヵ月後:頭痛ふらつきはあるが、朝起きるのは早く成った。登校はしていない。
2ヵ月後:学校もフリースクールも「行かない」とはっきり言い、勉強は家でしている。
3ヵ月後:「夜なら行く」と言うので母と車で夜校門まで行っている。「行った証拠の何かを置いて来て、来ているのを学校に知らせるのが良い」と薦めた。
4ヵ月後:家でした勉強を夜学校のポストに入れて来るようにしている。
5ヵ月後:先生が宿題をポストに入れてくれるように成ったので家で解答する。
9ヵ月後:夜のポスト登校を続けていて中3に成った。
1年6ヵ月後:通信制高校に入学、登校日にはちゃんと行って友達もできた。
2年6ヵ月後:登校を続け高2に成った。

22.13歳5ヵ月中2男子

 中1の時、学校の事になると顔面蒼白になって登校渋りが出て、中2に成って行けてない。勉強に付いて行けない。FIQ88。
 “安心作り・図星を言う・OKの声掛け”その他を説いた 1,2,3)

1ヵ月後:「2学期になってどうですか?」と質すと、本人は『大丈夫」』言い、母は『言われた事を心掛けていて、初めて来た時の心配はありません』と述べた。

23.16歳10ヵ月高2男子

 気分にむらがある、学校行ったり行かなかったり遅刻したり。バイトはしっかり行っている。朝起きられない眩暈立ちくらみがある。
 学校は行ける時に行ければ良いと開き直り、遅刻を学校に認めてもらうように勧め、OKの声掛け” 1,2,3) など“好い事作り療法”を説明した。

1ヵ月後:登校が増え、この1ヵ月で行かなかったのは2日だけだった。
2ヵ月後:登校が半分に減った。
3ヵ月後:頑張っていて、行かなかったのは2日のみだった。
4ヵ月後:毎日行っている。
5ヵ月後:高3に成った。眩暈はあるが毎朝登校している。
7ヵ月後:ちゃんと行けている。筆者が「人生に自信が付いたね」と言うと、本人は『そうですね』と笑顔で答えた。


IV. 23人のまとめ

再登校できた23人は6歳~16歳、男子16人、女子7人であった。
行かない子は8人35%、初診時平均年齢は11歳7ヵ月であった。
行けない子は15人65%、初診時平均年齢は10歳1ヵ月であった。


V.考察


1.何故、行けない子の方がより多く再登校できたのか。

 行けない子は、19世紀にフロイトが見い出し治療を展開した神経症の心理メカニズムに因る。神経症治療法研究の歴史は長く、ために様々な治療法が開発されて来た。

 筆者が親子に提示する“安心作り”と“良い子意識作り”を含む“好い事作り療法”は心理療法開発の歴史的考察の結果の一つとして創出されているので、神経症の心理メカニズムによって行けない子に有効な子が多かった、と考えられる。

 また、行けない子は再登校しようとする意欲は持っているが意欲を行動化できない矛盾を抱えているので心理的葛藤亢進こうしん状態にある。これを平たく言うとなやみ下手状態である。

 悩み下手状態のために解決方法が見付からないで困っている子に対して、「こうしたら良く成るよ」と手を差し伸べる“好い事作り療法”が効果を発揮するのは妥当である。
 行けない子は直そうと言う気持ちはあるのだから直る確率は高い、“病は気から”であるから。

 悩み下手の子が再登校に至ったのは“安心作り”“良い子意識作り”が子どもをして悩み上手な子にはぐくめたからと言う事も出来る。


2.“安心作り”が出来たある中学生のエピソード

 診察室であるお母さんが「この頃この子に叱られるんです」と言った。筆者が『どう言う事ですか』と問うと、母は「ママ、図星に成ってないよ。ちゃんと図星当ててくれよって言われるんです」と述べた。

 そこで筆者は母に「そういう時は『御免ね、ママ間違ったね、許してね』と親であっても下手に出て下さい。漫才風に言うとボケて下さい」とお願いした。
2ヵ月後、そのお母さんは「この頃この子に誉められるように成りました。学校に行くのが随分増えました」と笑顔で述べた。

 これは、子どもの心に安心安全基地意識が醸成じょうせい出来て学校に行くエネルギーが湧いて来た、と言える。

 その後、未受診で再登校は未確認。〝便りが無いのは良い便り“と言うことわざがあるが、如何いかに。


3.行かない子が少なかったのは何故か。

 行かない子は元々頑固で我を張るタイプの子だから信念を以って登校しない。信念は易々と変えられないから信念と言う。また、信念は確信であるから不安な心は無く、従って安心作り“は不要と成る。

 “良い子意識作り”は有効性を持った。何故かと言うと、行かない子は親から困られ非難されているのは自覚しているから、自分を良く見せようとして自発的に“良い子意識”を育て分別我慢を作ったと推測できるからである。

 行かないと信念を持っていた子が行けるように成ったのは、強い自己主張をした後で妥協出来るように成った、つまり大人の知恵が育ったからとも言えるだろう。


4.行けない子行かない子の年齢差とその対応

 平均年齢は行けない子の方が行かない子より1歳半年少であった。

 行かない子の初診時平均年齢は11歳7ヵ月だから心理発達は既に思春期に入っていて、行けない子は平均10歳1ヵ月だから心も行動もまだ前思春期であったと言える。

 前思春期は自我が未熟な年代であり、思春期は積極的に自我同一性を求める、つまり自我自己を探そうとしている年代であり、この差に意味がある。

 年長児は自我同一性に関して懊悩おうのうしているためそれに忙しく学校に行っているひまが無いと考えるのは間違いではない。

 20年前の事だが、父親が「お前ゴロゴロしていてひまだろ、暇なんだから学校行け」と叱った所、児は『おれはゴロゴロしてるのに忙しい、学校行く暇はねえ』と反論した中学生がいた。因みに、その子は当時の大検を受けて大学に進学し公務員に成った。

 子どもの思春期はソクラテスの言う“汝自身を知れ”に徹して自分の得手を見つけ、得手で飯を食って行く、つまり人生の身の振り方を展望するのに忙しくしなければならない時期である 2)
 今の子どもはおおむね17歳高二で進路を決めるが、その際は自分の得手を根拠にして決めるのが普通である。「俺、数学得意だから理学部に行く」「私、勉強よりお菓子作りの方が好き。だからパティシエの専門学校に行く」などなど。

 有名な人は得手得意技で以って成功しているから有名なのである。苦手で事を成す人はいない。
 有名な人はよく早熟と言われるが、それは自分の“得手見っけ”が早いからである。ヤンキースの田中将大は小6でプロ野球選手に成ると決めていた。ゴルフの石川遼は3歳からゴルフを始めて16歳でツアー優勝を果たした。女子サッカーの澤穂希は中1で既に日本代表だった。

 筆者が年長児に対して「大いに悩んで悩み上手に成りましょう」と“汝自身を知れ”を説いているのは思春期の“自分見っけ”を促すためである。

 神経症の子は繊細せんさいで感じ易く生真面目きまじめで上がり症の子が多い 4) 。この点を筆者は本人と親に平たく“悩み下手べた”と説明しているが、年少児では自己対象化の智恵が未熟なので「悩み上手じょうずに成ろう」と言っても理解は難しい。だから、年少児には親が図星を言う事によって児の心に「お母(父)さんは分かってくれている」感、つまり安心を作る心理療法を優先している。


参照文献


1)石川 丹:子育て親育ち読本I.札幌:社会福祉法人楡の会,2014.
2)石川 丹、田野準子:子育て親育ち読本II.2014.
3)石川 丹:子育て親育ち読本III.2017.
4)石川 丹:“安心作り”で良く成った神経症・心身症の子ら31人.楡の会HP;発達研究センター報告38.
5)石川 丹:我慢分別の心を育むための良い子意識の育ち. 楡の会HP;こどもクリニック通信第33号.
6)石川 丹:図星を言う・図星を言ってから叱る”の効果が早かった親子146組. 楡の会HP;こどもクリニック通信第34号.