(50)楡の会発達研究センター報告、その50(2021年3月)
2021.03.26

子育て親育ち読本 I・II・IIIの読後感想意見質疑応答
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子育て親育ち読本 I・II・IIIの読後感想意見質疑応答

こどもクリニック名誉院長
石川 あかし

初めに

 以下は「子育て親育ち読本」を読んだ親御さん、医師、看護師、保育士、心理士、言語聴覚士、作業療法士、理学療法士、療育関係者、福祉従事者の方々から頂いた感想意見質問疑問へのコメント回答です。
 御笑覧の上、“好い事作り心理療法”の一層の理解をして頂き、実践のかてとして頂けると幸いです。
 尚、‘17年出版の 読本III 以降の“好い事作り療法”の進歩については、発達研究センター報告、こどもクリニック通信、療育ちえぶくろ、を御参照下さい。

“好い事作り療法” 成立過程

 筆者の提唱する好い事作り心理療法は筆者が、医学、小児科学、小児神経学、神経学、てんかん学、精神医学、精神病理学、児童精神医学、教育学、特殊教育学、特別支援教育学、心理学、神経心理学、発達心理学、教育心理学、新生児心理学、臨床心理学、認知心理学、性格心理学、解決志向心理療法学、応用行動分析学、言語学、音声言語医学、赤ちゃん学、子ども学、発達障害学、社会福祉学、児童福祉学を土台とし、以下の職歴の中でつちかわれたものです。

略歴
 ‘67年 北海道大学医学部卒業
 ‘74年 北見赤十字病院小児科副部長
 ‘76年 東京女子医科大学小児科助手
 ‘78年 北海道大学医学部小児科非常勤医員
 ‘80年 北海道大学教育学部発達心理学講座助手(医学部小児科兼務)
 ‘85年 市立札幌病院小児科医長
 ‘97年 札幌市児童福祉総合センター医務部長(市立札幌病院小児科医長兼務)
 ‘03年 札幌市児童福祉総合センター所長(市立札幌病院小児科医長兼務)
 ‘05年 楡の会こどもクリニック院長
 ‘17年 楡の会こどもクリニック名誉院長

学会役員歴

 

会長:   北海道子ども学会、北海道児童青年精神保健学会、北海道心理教育アセスメント研究会
評議員: 日本小児神経学会、日本児童青年精神医学会、日本発達障害学会、日本赤ちゃん学会、日本てんかん学会

“好い事作り療法”の講義講演

 集中講義は北海道教育大札幌および旭川校、藤女子大、札幌国際大学でしました。
 日本小児科学会北海道地方会での発表は20回に及びました。
 講演は全国的には日本未熟児新生児学会、日本教育心理学会、日本K-ABCアセスメント研究会、北日本小児科医会福島大会、山口県小児科医会、大阪東京におけるべん天宗役員研修会で、道内では北海道こども学会、北海道K-ABCアセスメント研究会、北海道特別支援教育学会、札幌北東部小児医療研究会、日本および北海道医師会共催子育て支援フォーラム、札幌市立幼稚園園長研修会、札幌市民生委員児童委員研修会、札幌高等裁判所管内調査官研修会、北大医学部小児科で、札幌市以外では釧路、北見、上湧別、沼田、美唄、江別、北広島、千歳、倶知安、岩内、蘭越、八雲、函館でしました。

感想意見質疑応答

1.自己中心性の強い大人が増えているように感じる。

 →間違い無くそうです。戦後22年の1967年に佐良直美が歌った「世界は二人のために」が大ヒットし日本レコード大賞新人賞を受賞しました。これはそれまでの日本人の意識を大きく変える契機に成りました。
 何故かと言うと、明治以来日本人は“お国ために”という意識を強く持たされ持っていました。現人神の天皇の赤子であると教え込まれていた国民は“お国ために”という錦の御旗つまりスローガンの元で太平洋戦争に突入させられました。兵隊さんは戦死する時は「天皇陛下万歳!と言って死になさい」と命令されていました。が、実際は「お母さん」と言って死んだ兵隊が多かったそうです。つまり、人々には“一人はお国ために”と言う意識は建前であったのです。お国とは集団であり国家国民でしたから、一人はみんなのためにあるという考え方は全体主義ファシズムの由縁でした。
 「世界は二人のために」の世界とは国家国民みんなでありますから、この歌が流行った背景にはファシズムから個人主義への変遷があったのです。天皇主権の明治憲法から国民主権の新憲法の下で個人主義つまり全体より個人優先が浸透し始めた証拠です。
 その17年後の‘84年ロス五輪で女子マラソン銀メダルの有森裕子は「自分を褒めて上げたい」と言いました。これも衝撃的でした。何故なら、日本古来の謙譲けんじょう精神、び精神は自分を控える事に主旨がありました。人に褒められた時「いやあ、それ程ではありません」「お恥ずかしい」などと自分を引いた言が常識でした。人が誉めれるのは他人からなのが当たり前であったのに、自分を褒めると言う感性はそれまでの日本人の文化的意識からすれば全く逆なのです。ですから、衝撃的だったのです。有森発言以来自分への御褒美という言葉も普通に成って来ました。
 デュマ作の三銃士では騎士三人とダルタニャンの合言葉は「皆は一人のために、一人は皆の為に」で、これは一人も皆も対等の相互扶助精神、つまり共助を示唆しています。聖徳太子の十七条憲法の“和を以ってたっとしとす”に相当し、現代の人にも求められる内容です。しかしながら、今の日本では「一人は皆の為に」は非常に薄れて来ています。
 ですから、自己中心性の強い大人が増えているように感じる、という感想は妥当なのです。
 近年、金メダルを取って「人に感動を与えたい」と言うオリンピック選手は稀ではありません。感動とは個人の心の内から泉のように湧き上がるもので、他人によって与えられるものではありません。ある人が感動を与えたと思っても当人は何ら感じない事もあります。「感動を与えたい」と言う人は自己中心的を通り越して不遜ふそんの域に達している人、と言わざるを得ません。
 リオ五輪の際の東京招致運動ではフリーアナウンサー女性が披露した“おもてなし”が評判と成り、これが有効であったとの事です。“おもてなし”とは謙譲の表出行為その物ですから、日本国内では上記のように謙譲が薄れて行く中にあっては何とも皮肉であったと思います。
 こう言う現代社会ですから、大人達だけではなく子ども達も自己中心性が強くて自由奔放傍若無人の子が目立つのは当然です。
 1950年代、筆者が小学生の頃は一学級60人、立ち歩きする子、先生に従わない子はいませんでした。

2.おだて乗せるのが中々増えない親御さんにはどういう声掛けをしたら良いのか?

 →言って聞かなければやって見せる、です。
 ですから、親の前で児に対して“図星を言う、良い子に成ったね、カウントダウン”などやって見せ、児がこちらの言う事を聴いた場面つまり成功体験を親が成る程と思って感心するまで、何回もやって見てもらうのを繰り返して下さい。
 筆者は診察室で親御さんによる不適切な声掛けや関わり方を見た時にはかさず、「お母さん今~~って言ったよね、○○って言った方が良いよ」と指導しています。また、診察終了時には必ず呼名しておいて、こちらが「はあい」と言いながら挙手してしまいます。児が反応しなければ数回繰り返すと児は反応して返事をして手を上げます。そうしたら空かさず親御さんに「ほら、真似し易い手本を示したから、つい真似して手を上げてしまったんですよ」と解説しています。
 また、お片付けを指示して聞かなかったら、「片付けたくないんだよねえ、まだ遊びたいんだよね」と言って「後三回遊んだらお片付けだよ」と声掛けし、カウントダウンして片付け始めたらまた親御さんに「図星を言って先にこの子の顔を立てたので、この子の心に『三回も遊べたから満足、片付けよう』という気持ちを作り出せたんですよ。聞き分け良い子に成って呉れましたね。」と言うと、「凄おい」と言いつつ感心びっくりの親御さんがいます。そう成った親御さんの場合は、家でも“好い事作り療法”をやれるように成って、子の行動が改善し親御さんの心配も減って行きます。

3.上手く発声できない重症心身障害児者に対してはどのように気持ちを汲み取るのが
良いのか?

 →動物も人間も定位反応をします。定位反応と言うのは目や耳などの感覚器官を介した刺激(情報、他者からの関わり声掛け、観察結果)が入った場合、「ありゃ何だ?」と注意集中し、その後「ああ、あれだ、分かった!」という思い、つまり理解納得に到る過程を言います。「ありぁ何だ?あああれだ」反射とも言います。「ああ分かった」に到るまではその時のその人の心身の調子や刺激への興味、過去に経験した刺激か全く初めての刺激か、関わって来る人との親しみの度合い、などで時間の長短が生じます。この時間の間は“石橋を叩く”をしているとも言えましょう。
 また、「何だ?」の段階では呼吸を止め、副交感神経の働きで心拍が少し遅く成ります。「何だ?」の後にびっくりするような場合は呼吸停止の時間が長く、心拍減少の度合いも大きいために、顔付き顔色が変わったり「ざわっ!」という血の気が引いたような感じに成るのです。
 因みに、“思い立ったが吉日”の子、つまり落ち着き無い子、衝動的な子はこの定位反応が超特急な子と言えましょう。
 食虫植物でも包み込んだ物が食物である虫でないと判断すると吐き出します。虫だと感知して包み込んでも虫でないと判断すると出してしまうのです。本能と言うのでしょうが、動物も人間と同じ定位反応ができていると考えても良いのです。
 ですから、どんなに重い重症心身障害児者でも定位反応とそれに伴う表情の変化など何らかの身体の反応があるのだと思って、その人の発声しなくても、何らかの身体の反応、顔の表情、目の色、に注目注意しながら、“図星を言う”を繰り返し試み、“分かってもらえてる感”と言う理解納得の信号をしっかり観察して下さい。
 また、他者への言葉掛けにはプロソディ、つまり、音声の音韻的特徴として高低(ピッチ)、強弱、長短、速度、アクセント、リズム、イントネーション、ポーズがあります。言葉が通じるのは意味を介してだけではなく、プロソディを介して通じる場合があるのです。ですから、言葉がないから通じないと言うのは必ずしも正しくは無いのです。
 その人その人特有の何らかの反応が有る筈ですから、それをその人に教わって下さい。分かったら他のセラピストにも伝えてその人の個性を共有して下さい。そうすれば、誰がセラピーしてもセラピー効果は確実に上がります。

4.効果の実感を得にくかった方がどの程度いたのか?

 →“好い事作り療法”では“失敗は成功の元”ではなく“成功体験が次の成功の元”“成功に学び次の成功を目指す”と言う考え方である事は読本には強調して書いてある筈ですが、この点の理解は充分にしている上での質問なんですよね。こう言う訳ですから上手く行かなかった例の統計を取ったりしていません。
 上手く行ってない、上手く行かないケースの親御さんの特徴は以下です。
 先ずは、ダメ出し否定先行の考え方育て方をぬぐい去れず、図星を言って「君の気持は分かってるよ」を伝えて子の心中に“分かってもらえてる感”作りつまり受容先行に中々転換できない方々です。
 例えば、受容先行の“好い事作り療法”の基本的方法を困った状況に則して説明する度に、直ぐに「でも~」と反論して来る親御さんの場合は、数カ月通院して来ても結局“暖簾のれんに腕押し”です。そう言う人は我が子に対して“好い事作り療法”を実施できる筈はありませんので、子の行動が良くなる事は非常に難しくなるのは当然です
 否定先行を訂正できない人は自己中心的な人と言わざるを得ません。図星を言うには相手の立場に立って考える事、つまり相手にゆずる謙譲精神が必須です。自己中心性が強ければ強い程、自分中心の考え方が強い訳ですから相手の立場に立つのが難しく成るのは当然と成ります。
 また、子どもに「勉強させる」「習い事に行かせる」など「~させる」発言の多い親御さんは子どもを制御しようとする意識の強い人ですから、受容先行、つまり「君の気持ち、君の事は分かってるよ」を先に伝えてから、「~するのが良いんだよ」と教え諭すやり方がなかなか難しいのだと思われます。
 外来受診時に「やって見たいが難しい」とおっしゃる親御さんには読本購読をお勧し、沢山の成功例を読んでもらうようにもしています。
 次に、親御さん本人はやってると仰っても、正しくやれてない場合があります。診察室での親御さんの子への関わり方が間違っている場合があります。そう言う場合はそくやんわり忠告したり、こうして下さいと具体的方法を示します。
 例えば、1ヵ月後の再診時に診察室に入って来て一直線におもちゃ箱に向かう子に対して、「ダメ、そっちじゃないよ」と叫ぶお母さんの場合は、直ちにお母さんに代わって筆者が『そっち行きたいんだよね、椅子に座ろうね』と代弁、つまり“図星を言ってから教え諭す(叱る)”をすると、スーッと戻って来る場面をお母さんに見てもらいます。こういう場合、お母さんは“図星を言って叱る”ができていない事に気付いて気まずそうにする場合があります。
 また、家庭での具体的な関わり方をただすと不適切さが分かる事もあります。
 “図星を言う”の間違ったやり方で目立つのは「~なの?」「○○なの?」と問い詰めている場合です。“図星を言う”は問い掛けではなく、言い当てるのが真髄ですから、自分の気持ちを的確に言えないのが普通の子ども達への問い掛けは、“分かってもらえてる感”を生み出すどころか逆に「訊かれたって上手く返事できないよお、何で分かって呉れないんだよおっ」と反発を生んでしまいます。ですから逆効果に成ってしまうのは必定ひつじょうです。
 効果が出にくい場合は親御さんが、どうやってるか具体的に明らかにする事が対策の第一です。
 筆者は初診の折には親御さんに「今までの普通のダメ出し先行の育て方ではない方法をいろいろ説明しましたが、初めて聞く話でしょうからお家で実践するのは難しい事もあるでしょう。ですから、当面は月に一回のぺースで通って来て下さい。子どもの行動もいろいろ変わりますので、その都度良い方法をお教えしますから。」と伝えています。
 “好い事作り療法”を上手く実行できないでいる親御さんの場合にあっても、通っている内に子の行動が改善する場合があります。そう言う場合は親子同室で筆者の話を聴いている子自身が「自分は筆者(つまり治療者)には受容されているんだ」と分かって来ている証拠です。何故なら、そう言う子は親に「良い先生だからまた行きたい」とか「あの先生良い事言う」と言っていたり、親御さんが「この子、先生の事が好きなんです」と言う事があるからです。治療者が受容している事をクライエントが理解すれば心理療法は上手く行くと言う心理療法の原則が証明されているとも言えましょう。
 因みに、筆者の親子同席診療の際の親御さんへの説明の根幹は“良いとこ見っけ”“得手を伸ばせば不得手は付いて来る”“好きこそ物の上手なれ”ですから、決して子どものどこが悪い、そこが悪いとかは言いません。子どもをけなす事は決して無く、親御さんから聴かれる困った事の中にキラリと光る良い所を見つけ出し、良い所を伸ばす拡げる方法を親御さんに提案しているので、子は再診を嫌がらずに続けて来ます。来る度に良い所を見付けてもらえるのですから、子はだんだん自信が付いて来て顔付きが良くなり、ドヤ顔にさえ見える子もいます。
 「石川先生は味方だ、良い人だ、頼れる」と思っている子は沢山いる筈だと筆者は思っています。4歳から自由奔放傍若無人のために診ていた一人の子は、小学校中学年に成って以降、母親が困ってしまうと困られているのが分かって自ら「神の声を聞きに行こう」と言って母を誘って来院する事が何回もありました。
 上手く行って親御さんも心配なく成ったと言うので卒業としたケースでも、時に再診例があります。その場合、親御さんに質すと「(“図星を言う・図星を言ってから叱る・良い子に成ったね・良い子の~どこ?”を)忘れてました、この頃やってません」とよく仰います。そこで「子育て中は何歳に成っても“図星を言う・図星を言ってから叱る・良い子に成ったね・良い子の~どこ?”をずっとやるのが良いので頑張って続けて下さい」と念押し説明し励まします。そうすると親御さん達の中には苦笑いされる方も居られます。
 所で、質問された貴方の場合は、効果の実感を得にくかった方、はどれ位いましたか。
 そう言うケースの特徴を教えて頂きたい。

5.ある子に「後○回で終りにしようね」と声掛けした所、“終わり”と言うキーワードに過剰な拒否を示したので、「次は○○だね」と予告をしました。その後は“終われない”事が無くなり一つ一つの遊びの後に片付けをして折り合いを付けられるように成り、最終的なセラピーの“終り”の受け入れができるように成って来ました。
 今回の対応はお子さんに合っている方法であったのか、この対応ではなく“終り“を受け入れられるようにするべきだったのか? 疑問に残っております。

 →「終り」に過剰拒否を呈したのは、熱中していたので多分「後○回」と言う言葉を聞き逃し、「終りにしようね」のみを認知したので短絡的に『もう止めろって言うんかい』と言う思いが高じてキレたんでしょう。言わば後出しジャンケンされたと思って怒ったんでしょうね。次の予告を受け容れられたのは「もういくつ寝るとお正月」と言う気持ち、つまり楽しみにして待つ気持ちを醸成じょうせい出来たからでしょう。
 「次は○○」という言葉には“終り(=終末感)”と“また出来る(=期待感)”の二つの意味があった事になり、“次は○○”は“終り”の異音同義語にも成っていました。異音同義語を使う事によって子どもの行動を良い方向に導ける事は読本I・IIに何回もしるしました。
 人間誰でも見通しが持てた上で見通し通りに事が運べば達成感成功感満足感はより大きいものです。その達成感成功感満足感が次の備えかまえを、或いはそれ以上に“楽しみにして待つ”を生み出す事に成りましょう。「次は○○だね」と言う声掛けが児の心中に期待感を生み、そのために“終り”を受け入れられたのでしょう。
 “終り”にこだわらないように導くには「後○回しようね。後○回も出来て良いねえ。」と先ずは“好い事”を通告し、次いでどんな子でも良いとは思わないだろう“終り”と言うネガティブな言葉掛けをするのが良いと思います。
 例えば、「後○回も出来るんだよと“も”を強調し、沢山やったらお片付けだね。そしたらおしまい(異音同義語)ね。」と言うのはどうでしょう。
 〝終り“を真正面から受け容れてなくても、次の行動にスムーズに移れれば療育としては成功だったと思って良いと思います。今回の対応は良い対応でした。
 そもそも“好い事作り療法”とは、子どもにとっても大人にとっても好ましい事を大人がみ出し、その好い事に子どもを上手く乗せる、のが極意です。伝統的躾教育が“~させる”を基本としているのとは正反対です。親御さんがさせようとしても言う事を聞かない子に“させる”を続けても効果がないので我々の所に来るのですから、我々の仕事は今までとは違う方法で、しかも効果のある方法を親御さんに提案する事です。それが“好い事作り療法”です。
 昔からの子育ての言葉に“なだめたりすかしたりおだてたり”があります。煽てるにはだますと言う意味も入ってます。不穏当な言い方ですが、オレオレ詐欺の犯人は物凄い乗せ上手なのです。騙すと言う言葉には、こちらの思惑おもわくに上手く乗せる、と言う意味もあります。

6.よく外来の保護者の方が、児に対して「靴」のことを「クック」、「足」のことを「あんよ」、「歩く」ことを「いち、にっ」と話しかける様子を見ます。前者の名前で呼ぶよりも、後者の方が児にとって赤ちゃん語のような感じがして響きが良いのかな、と思う反面、いつまでその呼び方で話しているのだろう、と疑問に思いました。おそらく、発達するにつれて、「靴=クック」と理解するようになり、呼び方も変わりますが、周りからの声かけはどのようなタイミングで変えれば良いのだろうと思いました。

 →言葉掛けするのは親御さんだけではありません。親御さんが赤ちゃん言葉で声掛けしていても、子どもは他の人とかテレビとかが普通の日本語で話しているのを聴いています。絵本の読み聞かせでは長ずるに従って赤ちゃん言葉でない絵本を読み聞かせるように成ります。どんな親御さんでも子どもの成長に連れて普通の日本語で話し掛けるように成ります。子どもは真似して学んで追い追い普通の日本語に発展します。
 従って、いつまで赤ちゃん言葉で良いのか、と悩む必要はありません。
 因みに、大きく成っても赤ちゃん言葉で言う子は滅多めったにいません。軽い方の重症心身障害児の中にはそういう人を見かける事はありますが、多くの子は普通の日本語に発達します。

7.図星が上手く言えない、図星の言い回しがわかりづらい人に対してどのように働きかけたら良いのか。

 →親の目の前で“図星を言う・図星を言ってから叱る”を何回もやって見てもらって下さい。何事にも繰り返し学習は必要ですから。
 例えば、愚図って切り替えられない子を見たら「嫌なんだよね。○○もっとやりたいんだもんねえ。だからママの言う○○やりたくないんだよねえ。ママの言う事聞きたくないんだよねえ。でも○○したら良さそうだよ。先生もやって見たいなあ。一緒にやろうよ」と言って○○をやって手本を見せて上手く子どもを乗せて切り替え行動を作れたら、親御さんに向かって「ほら、お母さん見たでしょ。図星を言って“君の気持ちは分かるよお!”をこの子に伝えて、やって欲しい事をやって見せたら、この子はこちらの思惑に乗ってくれました。上手く乗せられました。だから切り替えできたんですよね」と上手く行った関わり方と状況を解説して、親御さんに「成るほどね」という気持ちを醸し出して下さい。
 “好い事作り療法”は子どもをこちらの思惑に上手く乗せるのが極意であり目的です。妙な例えですが、オレオレ詐欺の犯人は物凄い乗せ上手なんです。最初から大金を見ず知らずの人に渡す人はいません。何だかんだで電話で話している内にその気にさせられちゃうんです。不穏当な話しですが、オレオレ詐欺の犯人張りに子どもをこちらの思惑に乗せられるようになだめたりすかしたりおだてて下さい。
 カウントダウンも親御さんの眼の前で繰り返しやって、親御さんに成功体験を披露ひろうできるように演出して下さい。

8.「そんなこと言われなくても分かっている」と、図星を言われる事が嫌、言われるとさらに怒ってしまう子に対する対応の仕方。

 →“図星を言う”心理療法は 親しい人、親密な人、愛している人、近い人に図星を言われたら誰でも良い気持ち、嬉しく成るという人間の心情を元としています。赤の他人、そんなに親しくない人、嫌いな人、付き合いたくない人に図星を言われたら誰でも嫌な気がしたり恥ずかしく成ったりするのが当然です。
 子どもは誰でも相手との関係を図るのが未熟です。増してオレがオレがの我が強い子は、我が強ければ強い程プライドも高く成りますから相手を露骨に蔑視べっしするのが多く成りちです。「あんたにそれ言われたくないよ」と言う思いが強く成り勝ちですから、ズバッと図星を言われたら嫌がる確率は上がります。
 ネガティブな反応をする子には先ずはボケて下さい。「嫌だったね、御免ね」「言い過ぎちゃった、許してね」と謝って下さい。子どもが嫌がる場合は結果的にツッコミ過ぎだった事に成るので引いて下さい。相手が子どもであっても謙譲行動をして下さい。嫌がらせてしまったのですから、怒り情動を誘発させてしまったのですから、やり過ぎです。だから素直に謝って下さい。
 子どもを育てる面倒見るのは大人がすべき事ですが、人格的には大人と子どもは対等ですから、謙譲優先で。それが礼儀です。「謙虚に」とか「丁寧に説明」と言いながら有言不実行の総理大臣のようには成らないで、誠実に実践しましょう。
 例えば、「ああ嫌なんだ、嫌だよねえ、嫌なの嫌なの飛んでけえ。御免ね。でもね、先生は~~ちゃん大好きだから、言いたく成っちゃうの。許してね。でも言わせて欲しいなあ、言いたいなあ」などと、子どもに対して「君の気持ちは分かってるよ」を伝え直しておもねって下さい。

9.「良い子の○○に成ったね」「お姉さんに成ったね」の声掛けが逆効果な子には?(お姉さんにまだ成りたくない、赤ちゃん返りのような状態な子に対して)

 →「まだ、お姉さんに成りたくないんだあ。そうだよね、お姉ちゃんに成れない事もあるよねえ」と図星を言ってから、「でも、~~ちゃんがお姉ちゃんに成って呉れたら先生は嬉しいなあ。ママも喜ぶよ」とおだてて下さい。
 赤ちゃん返りに対しては“ママと○○のラブラブタイム”を画策して下さい。
 「良い子じゃない!」と反論する子にも『良い子じゃないもんねえ、良い子じゃないもんねえ。でも、良い子に成ったら先生嬉しいなあ。良い子に成ってよお、お願いっ』などと図星を言ってからボケておもねおだてて下さい。

10.好い事づくりを基本としながら試行錯誤の中でその子に合った対応方法を見付けていますが、中々見つけられない時に楡式療育のどこをどのように工夫して行けば良いのか迷う時があります。

 →対応方法を見付けた時、迷った時、それぞれメモ成り文章成りを書いてカンファレンスの場で披露ひろうして頂き、皆と共有するようにして頂きたい。

11.お子さんによく見られる典型的な行動に関して何か調査やまとめをするご予定はあるのでしょうか。

 →① 他者への指導行為や目下の子に教えて上げる行動が目立つに連れて攻撃行動が減った子らを、発達研究センター報告44(2020)「攻撃から指導への発達」、にまとめて紹介してあります。
 例えば、ある子は困った行動にはまってお母さんが困った際に、お母さんが「~教えてよ」「○○してよ」と下手に出て助けを求めるようにしたら困った行動から~や○○にシフトし、また、年少の子の面倒を見て先生に褒められたら、プライドをくすぐられた形に成ったようで、積極的に面倒見が増え、それと伴に攻撃行動が減りました。
 別な子は学校で習って来た事を祖母に披露ひろう開陳かいちんするように成り、祖母が積極的に教わって有り難がった所、得意に成って祖母に教えて上げるのが増え、それと伴に祖母をターゲットにした攻撃行動が減りました。
 子どもを死なせてしまう虐待者は大抵「しつけだった、殺すつもりはなかった」と言い訳します。言う事を聞かないので叩くという体罰は日本文化から中々消えません。
 大相撲の日馬富士問題も人間の暴力行為の中には他者に指導してやる意識が潜んでいる事を改めて明らかにしました。シゴキ、スパルタ、鉄拳制裁、体罰には元々、“言ってダメなら身体に教え込んでやる”意識が根底にある事は既に分かっていた事です。旧海軍の精神注入棒の思想は今も亡霊のように残っていると言えましょう。
 貴の富士が弟弟子を何回も叩いて引退を強いられた際の記者会見で、「言葉で何回言っても伝わらない場合、手を出さない代わりにどう指導したら良いか教えてもらっていない」と述べたのは象徴的でした。
 暴力には指導意識が潜んでいますから、指導その物の行為を導く事が肝要です。
 面倒見てやる意識をくすぐれば、我が強くプライドの高い子の攻撃行動を抑制できます。攻撃行動が目立つ子には親成り療育者が下手に出て「教えて」「教えて上げて」とおだてるのが良い方法です。

 →② 自己意識の発達について検討したいと思っています。自己意識とは自分の存在、感情、思考、行為、行動を対象化する事で自分への気付き、自分見っけです。日本の今の子の多くは17歳で進路を決めます。これは“汝自身を知れ”の第一歩です。知る内容は自分の得手、得手見っけです。何故なら、不得手で人生しようとする人はいません。
 有名な人、ノーベル賞を貰う人、金メダルを取る人は皆、得手を、分別を以って、上手うまく発揮したゆえにです。

12.天気とお子さんの状態が関連しているように感じる事が時折あります(雨の日にはお子さんが落ち着かなくなるなど)。実際にそのような事はあるのでしょうか?また、あると仮定した場合には何か対策のようなものはあるのでしょうか。教えて頂きたいです。

 →気候が体調、行動、気分情動に影響する事は大いにあります。古来日本人はこの点に感性豊かである事は古今和歌集、源氏物語、枕草子、徒然草に表されています。
 筆者は、高校まで東京暮らしでしたので6月の梅雨時にはジメジメして気分がスッキリしなかった経験があり、54年前に札幌に来て接した梅雨の無いさわやかな5,6月は感動的でした。最近は地球温暖化の所為せいだと思いますが、北海道にも梅雨のように感じる雨が初あり、住みにくくなったと感じています。若い人たちはこの歴史的格差を感じられないんだろうな、と思います。
 雨の日に落ち着かなくなる子には「今日は雨だね。雨の日はジメジメだよ。ジメジメは嫌だね、ジメジメ飛んでけえ。ジメジメ無くなったからしっかりゆっくりじっくりやろうね」と言う言葉掛けが“好い事作り療法”です。幼児はジメジメ感を感じる感性の域にはまだ達してないでしょうが、しっかりゆっくりじっくりと三つもの異音同義語に近い言葉を強調して「~しようね」と教え諭せば、ジメジメ感を分かって貰える確率は上がりましょう。

13.「~タイム」にもとても感銘を受け、子育ての中で使って行きたい事のーつです。

 →「~タイム」を親御さんに説明する時の要点の第一は~タイムをスムーズに終われるように画策する事です。~タイムの後によりもっと魅力的な事を用意して置く事です。
 例えば、3時にお八つを食べる習慣のある子では2時半とか3時15分前から~タイムを始めて3時に成ったらお八つに誘って、お八つへの切り替えをし易くし「また明日のこの時間に~タイムしようね。楽しみだね」とでも言って、“もういくつ寝るとお正月”とお年玉を楽しみにして待てるような“待つ気持ち”を育てるのが肝要です。
 第二には、~タイムする時間を決めた後で、その日のその時間に子が別な事をしていたら積極的に~タイムに誘い込んで別な事ではなく~こちらをやる気に成ってもらうように大いに煽てて~タイムにめるようにする事です。~タイムの時間に別な事をしていると親御さんは物怪もっけの幸いと思って誘わないでパスしまう場合があります。パスが多くなると~タイムの習慣が付きにくく成るのは当然ですから、~タイムの時間には積極的に誘った方が良いのです。

14.感覚過敏について「どのような刺激が快・不快かを分析し、慣れるか割り切るかを考えて、本人も周囲も困る事が少ないアプローチを考える」という対策が勧められると考えています。

 →「本人も周囲も困るのが少ないアプローチ」はけだし当然です。が、現実には不快な事に慣れさせようとさせられ、嫌がるのに無理やりさせられる子もいます。その結果登園拒否に成る子は筆者の所に結構来ます。
 用心深く石橋を叩いて渡るタイプの子は、自閉症だと誤解されて、無理やりさせられ、登園渋り登園拒否と成って受診して来る場合もあります。
 嫌がるのを無理矢理させられる方は凄く辛いでしょうし、意志に反する事をさせられるのは人格と人権の侵害にも相当します。子どもにも人格人権がある事は子どもの権利条約を鑑みれば明白です。
 無理矢理させようとする方に Schadenfreude(シャーデンフロイデ)が生じたとすれば最早指導教育ではなく苛めの域です。

15.チックは気づかせてあげる事が良いのでしょうか?

 →人が社会的行動をするに当たっての原動力はソクラテスが言った“汝自身を知れ”です。“汝自身を知れ”は換言すれば自己対象化、自分を外側から見る、自分を客観的に見る、自己客体化、他者視点です。
 自分を知るとは自分の得手を知る事です。これが肝要で子どもが大人に成るに当たっては非常に大事です。何故なら、日本の子どもの多くはおおむね高二、17歳(思春期後期)で自分の進路、大学か就職か専門学校かなどを決めます。この進路決定は“自分見っけ”です。
 思春期は“自分見っけ”の時代という言い方もあります。“自分見っけ”に右往左往するので時に逸脱いつだつ行動があり、そのため大人は反抗期とネガティヴに言います。しかし“自分見っけ”と言う言い方は非常にポジティヴです。
 進路決定に重要な役割を果たすのが自分の得手不得手を知る事です。誰でも不得手で以って人生しようとはしません。進路を決めるには自分の得手得意技特技を知る、つまり“得手見っけ”が原動力に成ります。得手を生かせる職業に着けば人生やり易くなり充実するはずです。プロボクシングの内藤大助は苦手を克服したて世界チャンピオン成ったのではなく、得意技をみがいて成ったとほこらしげに語っていました。
 誰でも得手を以って自己制御し好ましい行動を作り、十七条憲法の“和を以ってとうとしとす”つまり向社会的行動を実現する事が望まれます。
 チックに関しても自分で自分がチックしている事に気付き、つまり自己対象化して人に注意されないように自分の行動をコントロールすれば良いのです。チックつまり憂さ晴らしは無くす必要は無いのです。
 チックはくせで、癖はらしという意味を持っています。憂さ晴らしをしないで人生するのは不可能です。憂さ晴らしは時と場所を選び、して良い時にするのが自己コントロールです。して良い時と場所を選べたら、得手を生かしたとも言えましょう。
 チックする子には、しても良い時にし、してはいけない時にはしないように自分に向けて心理療法出来るように導くのが、つまり大人の分別をはぐくむのが“好い事作り療法”です。
 有名な人は正々堂々チックしています。石原元都知事は記者会見でしょっちゅうチックしていました。有名で偉いから誰も「チック出てますよ、しない方が良いですよ」なんて注意しなかったのでしょう。石原と言う人はべらんめいな人です。注意したらかえって怒られるだろうと思えば誰も注意するはずはありません。ですから、時と場所を選ぶと言う事に気付けていません。
 普通の子はチックしたら「止めなさい」と怒られます。それがまた憂さと成ってドギマギしてしまい、チックに対する分別があやしく成ってまたチックを繰り返してしまうのです。
 星野仙一元阪神監督は、負けた時にひどくやしがりいかってダッグアウトのベンチを蹴っ飛ばして憂さ晴らししました。観客に見える所での乱暴でしたので、翌朝のスポーツ新聞に「熱血星野ベンチを蹴っ飛ばす、野球少年の教育に良くない」と書かれました。その後は、負けた時は監督室まで行ってドアを閉めてからロッカーを蹴っ飛ばして憂さ晴らししたのを、記者がドア越しに聞いて翌日の新聞にそう書きました。星野監督は新聞で批判されてからは野球少年の為に、ひそかに人知れず憂さ晴らしする大人の行動が出来た人だったのですが、記者にばれていたのは不覚ふかくでした。
 人格としては、して良い時と場所、しちゃいけない時と場所をわきまえている分別ある大人なのです。

16.学校生活が落ち着いたらチックは「無く成った」という事でした。

 →「学校生活が落ち着いた」の中身は、学校生活におけるストレスから生じるさを上手うまく自己コントロールできるように成ったと考えるのが“好い事作り療法”の考え方です。
 人生はストレスが次々発生するのが普通です。人生山あり谷あり「一つ山越しゃあ次の山」ですから、児はこの後もストレスによってはまたチックが出てくる可能性はあります。そう言う場合はまた親が指摘して自己対象化を促すのが“好い事作り心理療法”です。

17.環境も違いプロとしてのプライドもある外部の方々にはどうアプローチして行けば良いのかと思う所です。

 →読本I、II、IIIを読んで頂いて成功したケースを沢山知って貰う事でしょう。読本を大いにセールスして下さい。

18.ネパール人のお母さんが「日本人は、子供の事に関して何かと『親が』と同一視され責められる事が多い。しかし、自分の国では親と子供は全く別の存在・人格とされているので、子供が何か起こしても親の責任を問われることはない。そこが不思議だ」と言っていました。子供にとって一番身近なお手本である親の関わり方が大切なのは言うまでもないのですが、彼女が言わんとしている事も分らなくもないです。

 →日本人の意識には未だ未だ封建制の考え方、封建的家族意識、儒教的考え方、ファシズムの影響が残っているからでしょう。
 菅総理大臣の放送事業会社に勤める長男が総務省の役人を接待し認可を受けた問題で、総理大臣は長男は「別人格」と言いましたが、役人の忖度が問題に成っている今の日本では総理大臣家族を「別人格」とは認められないのが現状です。
 太平洋戦争敗戦前の軍隊では、○○班の誰かが服務規定違反するとその班全員が罰を受ける規則がありました。隣組となりぐみと称された町内会の誰かが決まりを守らないとその組全員が制裁を受けました。これらはファシズムに基づくものでした。
 ネパールに比べて日本ではまだまだ民主主義が未熟と考えて良いと思います。民主主義の本質は集団優先ではなく個人尊重で、一人一人の人権尊重です。家族であっても各自は独立した存在であると考えるのが民主主義の根本です。

19.過去に石川名誉院長が好い事作り療法を実施しても、お子さんや親御さんの困り感が解決されないようなケースはありましたか?

 →上手く行かない場合はあります。そういう親御さんはこちらが“好い事作り療法”のいろいろをおすすめしてもその都度「でも~~」と反論して来る方、「この医者何言ってるの?」と言ってる様に怪訝けげんな顔付きをする方、直ぐに「難しい」を連発してやって見ようと言う姿勢を示されない方、受容と言う概念をなかなか理解して頂けない様子の方々です。
 こういう親御さん達は親御さん自身が自己中心性が強いと考えられます。大人に成って人格が固まり柔軟性、変容の余地、伸びしろが乏しいと考えられるので、納得してもらうのが大変難しい。
 “好い事作り療法”は家庭で親御さんに実践して頂くものとしてお薦めしていますので、親御おさんが受け容れてくれなければ、残念ながら、効果は中々出にくいものです。
 しかし、診察場面では親御さんは家庭で余り実践できていないと判断されるケースでも子どもの行動が段々良くなる事もあります。そう言う場合は親子同席でこちらが薦めている“好い事作り療法”の内容、つまり受容先行を子どもが直接理解して“分かって貰えてる感”が育っているから、だと思われます。
 所で、質問した貴方の場合はどんなケースでしたか。

20.「図星を言う」事により「分かってもらえている」は伝わっているが、「なんで、分かっているのに、ボクの思い通りにならないんだ」の気持ちも「~したかったね」と代弁やカウントをしますが、その後をどうしたら気持ちの切り替えができるのか知りたいです。

 →愛している人、ごく近い人、親しい人に図星を言われたら気持ちは良いですが、赤の他人、付き合いたくない人に図星を言われたら、いやな気持ちがしたり、「あんたに言われたくないよ」と反発心も出たりします。
 “図星を言う”は先ず「貴方の気持ちは~なんですよね。分かってますよ」を伝えようとします。これは上から目線でかさに掛かるのではなく謙譲けんじょう精神の表現であります。
 “分かってもらえてる感”を作れたら「分かってくれてるんだから図星を言ってくれた人の言う事を聞こう」と言う気持ちが作れて“聴く耳作り”が出来ます。“聴く耳作り”とは“相手に対して心を開く気持ち作り”とも言えます。
 コミュニケーションは顔の立て合いっこと言えますから、「先に顔を立てもらったんだから今度は相手の顔を立てよう」と言う気持ちを作る事です。
 上記の「わかっているのに、ボクの思い通りにならないんだ」の「ボクの思い通りにならないんだ」発言は図星を図星を言われるのが足りてないので、まだ我を張っていて自己説得我慢が育ってないからと思われます。
 図星を沢山言われて“顔を立ててもらった感”“分かってもらえてる感”が増えれば「良い人だ、僕の味方だ」と思えるように成り、「今度は相手の顔を立てよう」と言う気持ちが盛り上がって我慢分別が育って来って来ます。
 このケースでは効果が出るのに時間が掛かりそうです。ドンドン図星を言って「俺の気持ち分かってくれてるんだから味方だ、信頼できる、頼りに成る良い人だ。だから言う事聞こう」という気持ちを作って、「味方なんだから、良い人なんだから、時々きつい事言うのは愛のむちだ」という思いを醸成じょうせいして上げて下さい。愛を感じなければ鞭は鞭ですから聞く耳は作れません。
 図星を言って機嫌きげんを損ねたら「間違っちゃった、ご免ご免」と言って一度引いて下さい、ボケて下さい。その後で「言わせてね」と下手に出ながら再度図星を言って下さい。
 “良い子の○○に成ったね”“良い子の○○どこ?”も追加して下さい。

21.お母さんの声掛けで、「~しなくても良いよ」と言う言葉を聞いてなるほど!と思いました。「触らなくても良いよ」「叩かなくても良いよ」等の声掛けで、子どももそうかと納得する場面もあり、真似させてもらっています。

 →良いお話を聞かせてもらいました。

22.ある程度のコミュニュケーション(非言語的コミュミュケーションも含む)が取れる対象が全てであれば良いのですが、疾患により笑顔ができない方や、表情自体を作る事ができず涙は流れるがどんな感情で泣いているのか分からないなどの状態の方が対象の場合、手当たり次第にこうであろうと言う事を伝えて行き、少しの変化を反応として見て行くしかないのでしょうか。手当たり次第に「こうなの?」「違う? じゃあこう?」と何回も聞いてしまっては反対にこの人は何にも分かってくれない。と心を閉ざされてしまいそうで躊躇してしまう事もあります。

 →“図星を言う”は「こうなの?」「ああなの?」の問い掛けではありません。相手に問い詰められてると思ったら逆効果は当然です。「○○だよね」「~~だ」「・・・したくないんだ」などズバリ断定的に言い当てるのが真髄です。図星を言った積りでも図星に成ってないと判断したら、直ぐに言い換えて「~~よね」と何回も言い換えを繰り返して当たるまで四苦八苦しながら言って下さい。
 図星を言った積りでも相手に「違うよ」とか言われる事があります。そう言う場合はこちらはがっかりしてしまいますが、そこは踏ん張って「間違っちゃった、御免ね」などと下手に出て下さい。こういう対応はまんざいに例えればボケるって言うやつです、謙譲けんじょうとも言えます。謙譲精神は相手の顔を立てると言う事です。コミュニケーションはやり取り、交渉、駆け引き、妥協、折り合いを付ける、と言う事ですから、顔を立てられたと思えば次は相手の顔を立てて上げようと言う気持ちがき上がる筈です。ですから、そう言う気持ちが生じれば再度“聞く耳”ダンボの耳を作るのはやり易く成ります。
 図星を言うと相手が怒りだす事もあります。そう言う場合は「あんたにそれ言われたくないよっ」って言う気持ちに成ってる筈ですから、素直に『御免御免、気悪くさせちゃったね』とでも言って謝って下さい。その方が後々のためです。

23.重度心身障がい児・者でも、関わりが増えて行く内に、実はしっかり反応をしてくれていた事やかなり具体的な訴え(このことを聞いて欲しい、これをして欲しい)があり、それらが分かって来る瞬間があり、本書シリーズⅡの“大きな赤ちゃん”との表現には違和感を覚えている。

 →重症心身障害児・者の定義は大島分類1~4で1が最重度です。
 金沢大学片桐教授によれば分類1の多くの方々の行動観察発達検査では平均発達年齢は5ヵ月齢です。そして、同教授の瞬時心拍反応観察法の心理学研究では普通の赤ちゃんと同様に期待心を持っている事が明らかにしています。だから、“大きな赤ちゃん”としるしたのです。
 赤ちゃんは才能を持っていて分かっている事できる事も多く、何も分かっていない何もできないと言われるような未熟な存在ではない事も記しました。
 人間は生後いつから自我を持つように成るのか、と言う問いに対してイギリスの発達心理学者マレイは2ヵ月齢には「私は私」の自我を持って母親とコミュニケーションしている事を明らかにしました。
 期待心を持つと言う事は自我を持っているからこそできるものです。 
赤ちゃんは大人をしていとおしむようにさせる魅力ある存在です、大人の心に歓喜をかもし出す存在です。赤ちゃんと母親とのコミュニケーションは母子相互交渉と言い、お互いやり取りしていて、赤ちゃんが一方的に受け身でいる分けではありません。
生まれたばかりの新生児は目も見えない耳も聞こえないと考えられていた昔とは大違い
で、色々な事が分かっている事は30年程前からの新生児心理学が明らかにしています。
筆者もかつて新生児心理学研究に従事し「新生児における行動の個人差と脳の成熟.脳
と発達18:186-92,1986.」という論文を発表しました。
 ですから赤ちゃん表現は決して重症心身障害児者を軽んじる表現ではありません。
 重度とか重症という形容は医療福祉行政面で補助金や医療費判定には必要です。
私達は、御指摘のように、個性を見つけ出しながら発達を促す関わりをして行きたいと思います。発達のゆっくりな人を、歴年齢が何歳であっても、ギアチェンジして挽回出来るように支援するのが我々の仕事です。その方法が“好い事作り療法”である事を御存じの上で実行されているのはすごいです。
 石原元都知事が重症心身障害児者施設を視察した際「こいつら人間か」とつぶやいたのは知る人ぞ知るです。私達はこうしたひどい偏見差別と闘っています。

24.30年、40年とこちらのような療育をうけていない方でも、その年齢から始めて、他害や分別の獲得などできていけるものでしょうか?今までの生活や周囲の環境、接し方を変えれば、時間がかかってもできていけるものなのでしょうか?

 →医学的治療には手遅れはありません。患者さんが来た時から治療に全力をくすのが医療者です。受診までの時間の長短や重症度とは関係なく治せる人治せない人がいます。
 「もっと早く来れば助けられたのに」と言う医者は「自分はやぶ医者だった」と言っているのに等しい。
 療育とは治療教育ですから、私達は“なおすぞお・はぐくむぞお・良くするぞお”意識を高く持って仕事に当たって行きたいものです。
 有意語の無かった方で24歳で「いやあ」と初語を発した方が居りました。
 読本には様々な年齢、受診までの期間の長い子短い子らの成功例が沢山書かれています。

25.友人は、「楡さんに行った時は良いけど、保育園じゃダメなんだよね」と話していました。好い事作りの心理療法は、子どもをよく観察し、今、何を考え、求めているのかを把握しなければ、適切な対応が出来ない事も感じました。多くの子ども達を一人で保育する一般の保育園や幼稚園ではうまく行かないのだろうかとも思いました。

 →20年程前特別支援教育がまだ普及していない頃、学校幼稚園保育園の先生に“好い事作り療法”をお願いすると、「私達30人も見ていますからできません」と断られる事がありました。
 物事には質と量があります。1日の内に好い事がたった1回でも、それが琴線に振れれば1日中好い事があったと思えましょう。“図星を言う”が1回でも、その子が「大当たりいっ!嬉しいっ!」と強烈に思えば成功なのです。1回でも質が高ければ良いのです。
 ですから、一人で多くの子を見ている職業の人でも、質的な効果を目指してやって頂ければ上手うまく行く事もあるのです。
 ちなみに、20年前の事ですが、親の事情で家庭では育てるのが難しい子が入るある養護施設で園長を長年勤めたシスターが亡くなって卒園生が思い出追悼文集を作りました。卒園生が書いた思い出文の大多数では、驚くなかれ、「僕(私)が園長先生に一番大事にされた」と言う主旨が書かれてあったそうです。
 園長がもし一人の誰かに「君を他の子より一番大事にしてるよ」なんて言ったとすれば、それは長年の間の何百人もの園生への差別発言に成りますからクリスチャンのシスターが言ったはずはありません。ですから、園長は「一番」と言った筈は無いのに卒業生の多くがそう思っていたと言う事は、園長が各自の琴線に触れるように関わった、或いは話したと考えられるのです。
 沢山の子を担当している保育士や教員でもそれぞれの子の心にみ入る図星を言えば、子どもの心に“分かってもらえてる感”と信頼感を生み出す事が出来るのです。

26.“その子語”を正しい日本語で言い返す事ができない場合は何度も聞き返しても良いのでしょうか。何度も聞き返してしまったら相手の自尊心を傷つけてしまうのではないかと思います。

 →“その子語”を正しい日本語に訳して言い返す、と言うのは日本語が苦手でその子語が得意な子に対する日本語への言語療法です。
 “その子語”をそのままおうむ返ししてから日本語に言い直して言葉掛けして下さい。
 おうむ返しの段階は児に「通じたよ」を伝えようとする行為です。この段階ではコミュニケーション行為であって治療段階ではありません。
 児に「通じたよ」を知らせられたら、児の心には“分かってもらえてる感”が湧き上がり聴く耳ができます。そうした所で日本語に訳して言い返すのは「こう言った方がもっと良いよ」と言う心を込めて提案する手本なのです。手本が児には真似し易いと思えれば、児は手本を真似て学びが進みます。つまり日本語が増えます。ここが言語療法です。
 聞き返すのは「通じてないよ」を伝える事に成ります。通じてないならしゃべる意欲はがれます。
 例えば、「俺、英語の発音下手へたなんだよなあ」と思っている人が外人さんに話し掛けたとします。結果通じたと思えば続けてしゃべれますが、通じてないと思ったら恥ずかしく成って続けてしゃべる気はうすれます。誰かに通訳を頼みたく成るものです。
 “その子語”を日本語にやくすのが難しいと感じるのは、その子語への慣れ親しみ感が少ないからです。「私は分かるのですが、他の人では通じてないんです」と仰るお母さんは時々います。“その子語辞書”を作る形で“その子語”に慣れ親しむ事が出来ます。
 と言うのは、言葉は必ず文脈の中で語られるからです。例えば、人が空を見ながら「くも」と言うのを聞いたら雲と理解し、手入れされてない庭を見ながら言ったら蜘蛛くもと理解します。つまり文脈状況判断で言葉の意味理解は可能です。
 文脈状況判断をかてとして“その子語”理解を深め、“下手な鉄砲かず討ちゃ当たる”と開き直って図星を言えるように四苦八苦するのが療育実践です。

27.“その子語”が多い利用児が話し掛けてくれた時にオウム返しの後、伝えたいだろう正しい言葉を話しましたが、別の言葉だったらしく話し掛ける事を止めてしまいました。その子の伝えたい事を理解したいと思い、もう一度言って欲しいと頼んだ所で話してくれましたが、結局分からず「そうか、そうだよね」とただ肯定するだけに終わってしまいました。

 →聞き返すと言うのは普通「えっ、何? 分かんない。ちゃんと分かるように言ってよ」という雰囲気をかもし出す形に成ると思います。ですから、聞き返すと怒る子が多いのです。 
 「もう一度言って」と頼んだから、つまり下手に出たから、もう一度言ってくれたのです。結局分からなくてもその子が怒ったりしてこじれなかったのであれば、その時はそれで良かったと思って良いのです。“その子語”と慣れ親しむように成る気に成って下さい。

28.“やっても無害”を実践しようとした時にうまくいく時と、“これだったら投げていい”としようとしても“これ”でなくてはダメだとなって、うまくいかない時があります。“やっても無害”をつくる時のポイントはどのようなことなのでしょうか?

 →こちらがやって欲しい事に児を上手うまく乗せるのがポイントです。上手く乗せるには児が「それも良いね、やれそう、やりたい」と思えるような手本の提示です。児に「それじゃあやりたい事と全然違うよ」と思わせてしまったら乗っては来ません。やって欲しくない行為をマイナーチェンジして、児には自分のやりたい事とは違うと思われないように仕組む事です。
 例えば、木のブロックを投げようとしたらかたいスポンジでできた木よりやわらかいブロックを「これ投げて」と渡す。児が硬くても柔らかくても同じブロックだと思えば投げるでしょう。乗って来なかったら「一緒に投げよう」とでも言って、カーテンが傍にあったらカーテンに向かって投げれば、カーテンは揺れるだけで物は壊れないでしょう。その後、またブロックを児の手に押しつけつつ「これ投げたら気持ち良かったよ。~ちゃんも一緒に投げよう」と誘って同時に投げるように演出し、児も柔らかブロック投げの仲間に成る気持ちを誘って乗せて下さい。児が投げるのに仲間入りして来たら玩具箱とかブロック箱に投げ入れる手本を見せて、いつの間にかお片付けしてる風に導いて「お片付けして良い子に成ったね」と誉めて児にドヤ顔の気持ちを作って下さい。児は全然怒られないで誉められる行動した事に気づいたら、次はただ闇雲に投げるのではなくお手伝いの積りで投げる気に成り、そう成れば、趣味と実益を一致させた事に成りましょう。
 また、木のバット投げようとしたら百均で売っているようなプラスチックのバットを投げて貰う。本人はバットを投げてる積りで材質は木でもプラスチックでもどっちでも良いと思えば、嫌がらずにちゃんと投げるでしょう。乗って来なかったら、一緒にやる演出を工夫して下さい。
 投げても安全な同じような物が身近に無ければ出来ませんが、余り違うようには見えない物を渡すという気遣きづかいを続ければ、段々に丁度良い何かを見つけられるように成りましょう。物事やる気が無ければ上手く行きません。

29.癇癪を起している状態の子に図星を言って気持ちを理解している事を示したく、<これが嫌だったのかな>等と言葉を掛けて見るのですが、「お前に何が分かる?!」と言うふうに言葉を掛けただけより怒りを悪化させる子が稀にいて、ただ傍で怒りをぶつけられながら黙って見守る事が精一杯な状況に成る事があります。その際に多くの声掛けはせず見守る形を取り続けてよろしいものでしょうか?

 →“図星を言う”は問い掛けではありません。こちらが読んだその子の心を言ってズバリ言い当てる事です。ですから、「これが嫌だったんだよね」と“試される大地”に成る積りで断定的に言うのが“図星を言う”です。その事で“分かってもらえてる感”“受容されてる感”を作って聴く耳を作る事です。
 「~嫌だったのかな」は質問ですよね。カッカカッカしてる子が問い掛けられて「あんた何考えてるの?」と言われたんだと思ったら、水を差す形に成りますから逆ギレ反発を生む事に成りましょう。
 キレてる子に対する見守る形はその子にはシカトに映る事もありましょうから、「怒っちゃったんだ。テンション上がってるね、降りといで」と“図星を言ってから叱る”をして、「貴方を見捨てないよ」を伝えるのが良いと思います。

30.実際に私や保護者の方がやると成ると上手く行かない事もあると思うので、上手うまく行かなかったケースの振り返りやどんなことが要因だったのかという検討もあると、よりため為に成るように感じました。

 →“好い事作り療法”の根本は“成功が成功の元”であり、“失敗は成功の元”ではありません。成功体験は次の別の場面での成功への叩き台です。上手く行かない時に失敗体験に学ぼうと言う人はいません。失敗要因が分かったらそれをのぞけば良いと考える人はいるでしょうが、要因を除いても代わりの新たな方法が無ければ、「そんじゃあ、どうすれば良いのさ」に成って次の成功への道は見えなく成ります。何故失敗したのかと反省し、こうだから失敗したんだと理解できても、「そんじゃあどうする?」への解答はありません。
 失敗した時はあの時はこうしたら上手く行った、あの時はああしたら成功した、といろいろ過去の成功体験を思い出して、応用するのが解決への正道です。
 がん治療の進歩はそれぞれの癌へのいくつかの治療法の5年生存率を比較し、生存率の一番良い方法を発展させる形を取ったからこそなのです。成功が成功の元、成功体験に学ぶ、を実践して来たからです。
 成功体験をしっかり学び、成功方法をマスターし、次の困難や問題に向かって応用する努力はどんな人にも必要です。一緒に創意工夫しましょう。
 上手く行かなかったケースを経験されたらメモして、カンファレンスの時に提案質問して下さい。皆で議論討論し考えれば“窮すれば通ず”に成り得ましょう。
 所で、質問された貴方の場合、どんなケースで上手く行きませんでしたか。

31.疑問に思ったところは重症心身障害児者を「大きな赤ちゃん」と表現している所。赤ちゃんという言葉からはまだ未熟なと言う意味を連想するので違和感を覚えます。知的障害や身体障害と言われる者とは別に、情緒的な発達は生活経験を積み重ねる中で育まれ、身体が大きく成るだけではなく心身ともに成長変化し、みんなと同じように思春期があり親からの巣立ちがある事を個人を尊重する観点で捉えたいと考えます。ましてや、楡の会は重症の障害児者の受け入れから始まったとうたっているのですから。

 →赤ちゃんは未熟と思ったら、大きな赤ちゃん表現はネガティブで好ましくない事に成りますが、読本には赤ちゃんは未熟だとは書かれていません、赤ちゃんの才能が一杯いっぱいしるされています。
 生後2ヵ月の赤ちゃんは自我を持っています。真似は学びの元で5~6か月の子はもう真似まねをします。10ヵ月齢前の赤ちゃんは母国語にない母音子音を理解し発します。
 これは母国語しかしゃべらない大人には出来ない事で、赤ちゃんの才能特技です。赤ちゃんは親、特に母親に愛着を表出し、母親による世話を引き出す能動的能力を持っています。これは他者を動かすコミュニケーション行動です。コミュニケーションとは双方動かし動かされっこです。1歳には振りという象徴行動想像行動を発揮します。振りは積りで人間特有の知恵による行為です。
 重症心身障害児者はいろいろな才能を持っているのだからそれをはぐくもう、という理念が楡の会に有る事は言うまでもありません。

32.楡式という表現に抵抗を感じます。たくさんある方式の中の一つ、或いは自分達が特別と思っている方式と聞こえるからです。特別な一つ(特化した事)ではなく、もっと普遍的な捉えであるように思います。

 →“好い事作り療法”は日本人の誰もが知ってやっている事ではありませんので、方法としては日本において普遍的ではありません。ユニークな筆者独特の方法は日本では今のところ珍しいマイナーな治療法です。マイナーな方法を一般化しようと言う意欲を持っている人は楡の会に沢山います。
 “好い事作り療法”は言葉の遅れなど言語の問題、落ち着き無い、切り替えが難しい、拘る、マイペース、乱暴、登校拒否など行動問題、神経症心身症など心の問題で有効である事は読本のみならずHPの発達研究センター報告、こどもクリニック通信、療育ちえぶくろ、に記載されています。
 つまり、子どもの発達上の心配のあらゆる事に有効ですから、“好い事作り療法”は普遍的治療法と言っても過言ではありません。
 楡式とは楡の会特有の療法と言う意味で、その内容と治療効果は普遍的と言えましょう。

33.チックについてですが、時と場所を制限される事で逆にストレスに成らないのかと言う疑問です。

 →“好い事作り療法”には制限という言葉はありません。制限と言う言葉には「しちゃいけない」と言う意味が入っていますので禁止とほぼ同じ意味です。「ここではしちゃあいけないんだ」「今はしちゃあいけないんだ」と思ったら誰でも当然ストレスです。
 こういう疑問の持ち方をされる人はダメ出し先行、禁止先行の日本の伝統的躾教育にまだかっている方と思われます。
 “好い事作り療法”は禁止先行ではなく“図星を言ってから叱る(教え諭す)”です。
 「君の気持ちは分かるよ。だから○○したら良いよ」とやって欲しい好ましい事を提案し、子どもにそれに乗って貰って好ましく無い行動を好ましい行動に換えて貰おうと言うのが主旨です。
 チックを対象化して、やっても良い時と場所でやる自己コントロールを促す、分別を育てるのが“好い事作り療法”です。制限は当然ストレスに成り得ます。ですから、制限されてる、という思いが生じないようにして、チックして良い時と所をお教えようとしています。制限は禁止とほぼ同じ意味があります。「ダメ」は禁止ですが、「叱る」つまり「教え諭す」は“こうしたら良いんだよ”を提案してそれに乗って貰う事です。
 不穏当発言ですが、オレオレ詐欺さぎの犯人りに乗せ上手じょうずに成りたい、ものです。

34.ざっくばらんに言うと大きな赤ちゃんとありますが、私が働いている部署では利用者を一人の大人として敬語を使って会話をしたり個別の空間を大切にしています。大きな赤ちゃんとして関わるのか大人としての関わるのではどっちが良いのでしょうか。

 →大きな赤ちゃん表現は何も分かっていない未熟な存在と言う意味ではありません。大きな、は体が大きいと言う意味ではなく、色々な才能を持っった大きな豊かな存在と言う意味が込められています。
 赤ちゃん言葉の方が理解が進むと思えば赤ちゃん言葉で語り掛ける、敬語を使った方がコミュニケーションが進むと思うのであれば敬語を使った方が良いと思います。と言うのはコミュニケーションは相手が分かり易い方法を選ぶのが肝要ですからです。
 因みに、赤ちゃん言葉は赤ちゃんをさげすんだ言葉ではありません。赤ちゃんに分かり易いように配慮した言葉ですから、赤ちゃんを尊重した言葉、つまり敬語と言えましょう。
 個別空間を大切にする事でその人の心が落ち着くように安心が深まるように、と療育していると思いますのでそれは大変良いと思います。
 赤ちゃんも重症心身障害児者も大人もどんな人も一個の存在、人格としては同格ですし人権も平等ですから、お互い丁度良い関わり方が良いと思います。

35.「図星のベースがある子ども達に対しての伝え方」が今後は考える必要があると実感しています。年齢も上がり、様々な社会経験を積んでいる学齢児の子ども達に対しては図星を言うだけでは関係を作り切れない場面も多々見られるように成って来ています。図星を言われると更に興奮気味に成ったり、話を聞こうとしなかったり、怒り出したり、表現はそれぞれ違いますが、彼らの心も成長し、年相応の表情を見せるのだと感じます。

 →愛する人、ごく親しい人、馬が合う人に図星を言われたら誰でも気持ちが良いものですが、赤の他人、付き合いたくない人に言われたらいやな気持に成るものでしょう。
 学齢児がいつごろから思春期に入っているのかと言うと、心理学研究では10歳から思春期が始まると言う報告があります。思春期の子どもの心の特徴は「あんたにそれ言われたくないよ」と言う思いが高じ易い点です。ですから、ご指摘の子どもの行動が起きるのです。
 そんじゃあどうすれば良いのか、を以下に述べます。
 年長例学童例に対する療育の焦点の一つは分別我慢の心育てです。と言うのは彼らの発達の障害の中身の一つは歴年齢相当の向社会的行動の未熟さです。向社会的行動とは十七条憲法の“和を以ってとうとしとす”です。
我慢分別を育てるための“好い事作り療法”は“良い子に成ったね・良い子どこ行った?”です。
 年長幼児例には“良い子に変身できたね”が分別作りの“好い事作り療法”ですが、学童例では“カッコい男に成ったね〝イケメンに成ったね”“素敵な女の子に成ったね”“しっかりしたお姉さんに成ったね”などの言い方を親御さんに薦めると、そばで聞いている子はニヤニヤしたりします。

36.親子共々少しのヒントでもっと嬉しいが増えるように産婦人科や小児科に読本の小パンフを置いて購入に繋げてはどうだろうか。

 →お薦め御尤ごもっともです。

37.望ましい行動を取れた時に褒めると言う事に関して、その行動を取る度にずっと褒め続けるのか、それともどこかで(成長したり、当たり前に望ましい行動を取れるように成ったタイミングでなど)褒めるのを止める、もしくは褒め方を徐々に控え目にするなどするのか疑問に思った。年齢や気持ちが成長してからも子どもの時と同じような褒め方で良いのか、ということを疑問に思った。

 →“和を以って貴しと為す”とは和気藹藹あいあいの平和社会です。日本文化における平和の原動力は謙譲けんじょう精神、おもてなし、です。謙譲とは相手を先に立てる事、相手の尊重の優先、受容先行、これは親子であってもしかりです。尊重と受容の最大表現“める”が“和を以って貴しと為す”の原動力です。吃言葉ですが“誉め殺し”と言う言葉もあります。
 リオでの2020オリンピック誘致成功要因として、おもてなし、が大きかった事は良く知られています。が、海外客を受け入れられなく成り公約違反と言われそうなのは切ない所です。
 “好い事作り療法”の褒め方の一つが“良い子に成ったね”です。その他各自個性的に相手によって創意工夫するのが良いと思います。

38.疑問と言うか、迷いにも取れますが、本当に自分は、相手の「図星」を言えているのかと言う所です。

 →図星を言うには目の色、表情、仕草を通して相手の心を相手の言葉無しに読んで理解するのが必須の前提です。阿吽あうんの呼吸、つうかあの仲であれば図星を言い易いはずです。
 図星を確実に言えるように成るにはひたすら相手の心、個性、性格人格を理解する努力工夫です。その早道は相手の立場に立って考える事、この人ならこう思うだろう、ああ思うだろうと思案し推理する事の繰り返し練習です。
 図星に成っているかどうかは、相手の目の色、表情、仕草に教えて貰うのが一番です。
 上述の懸念を感じた時は図星に成ってないと考えるべきでしょう。
 “試される大地”に成って言って見て、相手に正解かどうか教えてもらうのが謙虚さです。間違ったと判断したら、素直に謝るのが誠意です。

39.好い事作り療法のエピソードの中に成人の方のエピソード等が盛り込まれた成人版が作成されると思春期から成人期の保護者さんの中での助けにとても成るのではないかと思いました。

 →子育て親育ち読本には成人例もっています。また石川一人の経験だけではなく、通園きらめきの里での“上手く行ったエピソード”も沢山載っています。
 成人版と言う事であれば成人に関わっている職員からの文章を沢山お寄せ頂く必要があります。
 所で、身体障害、知的障害、発達の障害の方々は一般成人がしている社会生活をするのに四苦八苦してられます。この点は子どもも大人も同じで、生涯発達と言う言葉があります。その人の社会生活をより困らない方にいやいくむのが“好い事作り療法”です。
 読本の内容は暦年齢に関係なく、どんな人にも適用できる理論です。

40.是非この読本の成人バージョンを制作していただきたいです。

 39)コメント参照。

41.利用者様のなかで、指示棒を口にくわえ五十音表を用いて、コミュニケーションを取っています。昨年の4月に入職した時は、少し会話ができ、「あとで、ジェンガ!」と言うのも増えて来ました。知能は6歳くらいとお母さまから、話を伺っていましたが、会話・言葉というものは少しずつでも増えてくれるものなのでしょうか?最近の活動でジェンガをするように成り、その会話が急に出て来きました。新しい事の刺激などで会話の数が増えるのか、教えて頂きたいです。

 →“好い事作り療法”では“得手を伸ばせば不得手は付いて来る”“好きこそ物の上手なれ”“得手を生かす”“好ましい事作り”が治療法原理です。
 ですから、ジェンガにはまっている今、ジェンガにまつわる事で、言わばジェンガを出汁に使って、会話が増えるように働き掛けて下さい。

42.成人の方に対応出来るような、例えば自傷、他害に苦しんでいる方達の救いと成る方法も書籍化して頂けると、家族は有り難いのではないでしょうか。

 →思春期成人の方の自傷他害改善例は読本、HPの発達研究センター報告とこどもクリニック通信に何例か載せていた筈です。39.40)コメント参照。

43.コミュニケーションの7割が動作や仕草、3割が言語で伝わっていると言う一文を読んだ。言葉も動作もなかなか表現できない利用者とのコミュニケーションはどうなのか。という疑問が生じた。

 →動作のない生き物は居ません。花だって生長と伴に茎に対して傾きは色々あります。
 高山植物は太陽に向けて花の向きを刻々と変えます。
「なかなか表現できない利用者」という表現は大変残念です。この表現は小生には『独特な表現が理解出来ないで困ってる』と聞こえます。
 人間は一人一人多かれ少なかれ個性のかたまりです。障害児者と言われる人達は我々凡人とは多かれ少なかれけ離れた独特な個性豊かな表現をする人達と理解するのが良いでしょう。
 こう理解して頂けるようなら「なかなか表現できない利用者」に対して、「ああじゃないか」「こうじゃないか」と必死に成ってその人独特の表現動作を理解する試みをして下さい。
 表情、仕草、目の色も動作表現ですが、目の色は特に微妙ですからそれを読み込むのには努力必死さが求められます。“目は口ほどに物を言う”です。頑張って下さい。
 そうすればコミュニケーションは進むでしょう。何故ならコミュニケーションの出発点は相手の理解で、そこから相手への適切な関わりが生まれ、それに応じた関わりが帰ってくればコミュニケーションの成立だからです。

44.「良い子でいなければならない」という強迫観念に繋がらないか。そこから神経症・心身症にならないかという懸念を抱いた。過去の事例にそう言った事がないか、可能性として起こり得るのか、お聞かせ頂いたら嬉しい。

 →精神医学で言う強迫観念とは、その考えが不合理で馬鹿馬鹿しいと自覚出来ても自分の意志に反して出現し、無理に抑え込もうとすると強い不安が生じる心理、です。
 褒められても「それ程ではありません」「お恥ずかしい、穴があったら入りたい」などと謙遜けんそんする日本伝統の文化的意識である謙譲けんじょう精神を持っている人まだまだますでしょうが、褒められる事が不合理で馬鹿馬鹿しいと思う人は滅多に居ないでしょう。居るとしたらその人は物凄すご露悪家ろあくかでしょう。
 「~ねばならない」は「ちゃんとしなければならない」ですから、生真面目な人、几帳面な人は、自分を責め「ちゃんとできないんならしない方がましだ」と不安葛藤が高じる事はあります。
 “好い事作り療法”での“良い子に成ったね”は必ず“図星を言う”とセットにして親子に説明していますので、不安の逆の“安心作り”もしている事に成ります。生じるかもしれない不安葛藤に対して予防策が講じてある事を是非御理解頂きたい。

45.子どもに対しての心理療法が多いですが、成人に対しても同じやり方に効き目があるのかなと思いました。大人がもし同じような困った行動をしていた時、好い事作り療法で効果の有無の事例があれば詳しく知りたいです。

 39,40,42)のコメント参照。
 当法人は障害の方々、子どもから大人まで、をお相手にしています。勿論もちろん障害に成ってしまいそうな人も予防という観点からお付き合いの対象です。
 当法人の理念は障害の方々あるいは障害に成ってしまいそうな人への福祉です。福祉と言う語の福も祉も幸せと言う意味である事は既に皆さんご存知の通りです。
 障害の方々の幸せとは障害のために困っている状態から少しでも困らない状態に成る事です。
 そのために我々は日々創意工夫して障害をなおそういやそうとし、障害の方々をより困らない状態にはぐくもうとしています。
 育むと言う言葉は大人が子どもに対してする行為、つまり優位者が劣位者にする行為と言う意味ではありません。育む立場の人が育まれる立場の人から学ぶ事はしばしばあるものですから、対等と意味も込められています。
 なおいやすという言葉には専門家が素人を良い方向に導くと言う意味があります。当法人職員は専門家である事が求められている事は言うまでもありません。
 生涯発達と言う言葉は障害の有る無しにかかわらず全ての人に当てはまります。それをお手伝いするのが当法人の役割です。
 自己のアイデンテティーを追及するのは人間存在そのものです。自我同一性とはみずからとわれが同じである事です、いまる自分を有りたい自分と同じしようとする傾向です。換言すれば、現実の自分を理想の自分に変身させようとする事です。有る自分を有りたい自分に仕立て挙げようとする欲求を万人は有します。
 赤ちゃんだっておなかいたらお腹を満たしたいとよくいて、泣く事によって母にそのむねを伝えようとします。お腹が空いてる自分をお腹が一杯いっぱいに成った自分に近付けようとしているのです。
 有る自分を有りたい自分に導く原動力は欲です。欲は睡眠欲、食欲、性欲、生存欲、物欲、遊びたい欲、ファション欲、住み心地良い家に住みたい欲、など生きるために必須のものです。そもそも本能は生命欲です。日本の仏教的儒学的伝統文化の中で行き過ぎた欲は否定されいましめられますが、各自相応の欲つまり意欲は必要です。
 障害と言われるような方々は意欲の表現の仕方がその人ごとに個性豊かですから、普通と言われる多くの凡人には分かりにくい事がしばしばです。凡人には分かりにくい事が多いから凡人はその人たちを障害と差別的に言ってしまうのです。
 障害者とは国語的には差しさわりと害がある人と言う意味です。自分達に分かりにくいから差し障りと害があると言う言い方は個性が目立たない凡人にしては随分背負しょってる発言です、不遜ふそんその物と思います。こう考えると当法人職員は謙虚である事を求められるべきでしょう。
 身体障害も知的障害も発達の障害も社会的行動も含めた行動の問題です。このように考えると障害は子どもも大人も同じであり、年齢とは関係無い事に成ります。障害は年齢差が関係無いのですから、“好い事作り療法”の効果には年齢は関係無い事に成ります。
 そうすると、成人にも効くのかという疑問が生じるのは如何いかがなものか、と言う疑問が生じて来ます。効き目への疑問は、先ずは御自分で実践されてから検討されるのが良いんじゃないでしょうか。その上で効果が出なければ「~~したが上手く行かなかった。どうすれば良いのか?」と言う形の質疑議論が建設的だと思います。

46.幼少期からの積み重ねがなく自己肯定感がとても低い大人へはどのようなアプローチが有効ですか?

 →“好い事作り”はやり易いようにやり易いように仕組んだ結果の“成功体験作り”です。成功体験が自信を作り、「僕(私)って結構できるじゃん」の気持ち、つまり自己肯定感が次のチャレンジ精神、やる気、を生みます。41)コメント参照。

47.幼少期から楡の会を利用されていた方々も成人を迎え、障がいを持つ方の年齢層も上がって来ています。今後入所型施設の開設予定はありますか?

 →入所型の計画は無いです。

48.疑問に思った所は、好い事作り療法を勧められたお子さんの中に、良く成らなかった方もいらっしゃったのでしょうか。

 →良く成らなかった、の確認は中々難しいのです。
 何故なら、診療部門の外来診療は契約診療ではなく任意診療ですので、親子の判断で途中で未受診に成る場合があり、未受診に成ってしまったら当然その後の親子の様子はられなく成ります。ですから、良く成ったから来ないのか、良く成らないから来ないのか、分かりません。
 受診を続けて「良く成りました。もう心配ありません」と言って頂ければ良く成ったのが分かって卒業つまり通院終了が確認できます。
 療育部門では契約によって通園通所して頂くので職員が関わる時間が長く、職員の目が行き届き、良く成った事を大きな事でも細かい事でも見出す事ができています。
 “好い事作り療法”の大事な考え方の一つは、成功体験から学んで次に生かす、です。
 実践して良く成らなかった例を経験されたら、その経過を紹介して頂ければ対策を提案致します。

49.落ち着き無い、多動の子はどんな性格なのでしょうか。

 →人間誰でもやりたいからやるのです。やりたくないからやらないのです。大坂なおみは2019全米オープンで優勝した時、「やりたくねえ事やる暇はねえ」と言ってからテニスに没頭していると言いました。
 誰でも意欲が生じた後で行動を開始するのですが、“思い立ったが吉日”タイプは「やりたい」と思った直ぐやりますので落ち着き無く見えるのです。思い立った時に、した方が良いか、しない方が良いか、言わば“石橋を叩く”をする所で“叩く”時間が超短いrapid starter、フライングです。
 “思い立ったが吉日”を別の言い方をすると、分別の心が未熟と言う事です。分別とは、出るべき時に出て引くべき時には引く、です。“思い立ったが吉日”だと、出る時出過ぎ引く時引かな過ぎ、と成ります。
 ですから、落ち着き無い子の心理療法は分別我慢育て、我慢のエネルギー源である“良い子意識育て”と言う事に成るのです。

50.こだわり、切り替えに時間が掛かる子の性格特徴はあるのですか

 →自己中心性の強い子です。
 有名な発達心理学者ピアジェは4歳未満の子はみんな自己中心的で、4歳過ぎに成って脱中心化するとしるしました。
 脱中心化とは、他者視点の心が育ち、自分を外側から見る自己対象化が発達する事で、これによって分別我慢の心が発達するのです。
 ですから、自己中心性の強い子は脱中心化が遅れている子で、分別我慢の未熟な子です。そこで“良い子に成ったね”の“良い子意識作り”が心理療法に成るのです。
 こだわるのはそれが良いからです。嫌な事を拘る人はいません。ですから、拘りへの心理療法は「するな」「止めろ」の禁止ではありません。禁止されたら反動で執着は強く成るからです。
 拘りはブームと考えれば、ブームはやり尽くせば去ります。そこで、“たっぷりやったからもう良いや感”を作るのが拘りへの心理療法に成ります。“カウントダウン”がそれです。